雲ノ平について|About

雲ノ平山荘

雲ノ平について|About

雲ノ平について

雲ノ平は北アルプスの最奥部、黒部源流域の標高2,600m付近に忽然と広がる溶岩台地です。風にそよぐなだらかな草原の向こうには水晶岳が悠然と聳え立ち、黒部源流が流れる谷を隔てて三俣蓮華岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳、薬師岳、立山連峰などの名だたる山々が周囲を取り囲んでいます。また、草原に点在する池塘やハイマツ、火山岩がそこかしこで日本庭園のような独特な空間美を織りなし、雲ノ平の景色を特徴づけています。

初夏には一面に、ハクサンイチゲやコバイケイソウ、チングルマ、ミヤマキンバイ、クロユリなどの高山植物の花が咲き、秋には黄金色の草原にナナカマドの鮮やかな紅葉が彩りを添え、初冬になると、静まり返った冬枯れの平原を、淡く透明な日差しが柔らかに輝かせます。かつては、人里からあまりにも離れた場所にあり、北アルプスの中でも最後までまとまった開拓の手が入らなかったことから“最後の秘境”と呼ばれました。

山小屋の仕事

北アルプスにおける山小屋の役割は、宿泊業全般をはじめとして、登山道の維持管理、遭難救助、行政組織との連携や交渉など、非常に多岐に渡っています。

国立公園内の山小屋が、国際的に見ても例がないほど広範囲な業務をこなすようになった背景には日本の国立公園の歴史的な経緯が関係しています。

日本の国立公園は、昭和初期以降、アメリカやヨーロッパ諸国を参考にして設立されたものでしたが、自然保護思想、すなわち自然そのものの価値を尊重する考え方を社会に根付かせる過程が十分になかったために、観光、経済政策としてネームバリューを獲得することに重きが置かれ、行政が直接的に自然環境を管理する仕組みを有していません(北アルプス全域に自然保護官が4名しかいないことが端的に現状を物語っています...)。

一方で、二十世紀初頭に端を発する日本の近代登山の黎明期に、原野だった山々を誰しもが登山をできる環境へと切り拓いたのは各地の山小屋創業者や猟師、山案内人などの個人、あるいは信仰登山の延長線上の活動よるところが主たるものでした。それらの活動が発展して国立公園の地図になったと言っても過言ではなく、当初から行政の関与は限定的なものだったのです。その構図は現在もほとんど変わらずに引き続いており、日常的な登山道整備をはじめとする国立公園の公共的機能の多くを山小屋が担っています。

ある意味で、このような放任主義的な国立公園の運営方針が、固有の山小屋のスタイルを生み出したとも言えます。

国立公園を
取り巻く問題

しかし、こうした国立公園を取り巻く構図にも、近年様々な課題が生じてきました。

ほぼ一世紀に渡って利用されて来た登山道の状態は、近年のゲリラ豪雨等の異常気象も影響して悪化の一途を辿っている地域が数多くあり、山小屋だけで受け持つのは限界を迎えつつあります。それは言わば山小屋という個人の能力や感覚、経済力に依存した状況で、国立公園という本来公共性の強い資源を、地域差がなく安定した形で存続させるためにはあまりにも脆弱な仕組みであると言わざるを得ません。

また山小屋の経営環境も、昨今大きな変化に晒されています。

設備費、ヘリコプターによる資材運搬費等の著しい高騰、装備の発達で小屋泊が減りテント泊に移行していること、人口減少による国内需要の縮小、人材不足など、山小屋経営を取り巻く状況は不透明感を増しつつあります。

この状況は、昨今国内の観光産業について指摘されるように、戦後の急速な人口増加や経済成長を背景に「放っておいても観光地には人が溢れ、サービスの質や経済合理性を厳密に問わなくても潤った」時代が登山の世界でも過去のものになったことを示しています。

世界にも類を見ない豊かな自然環境を有しながらも、今まではほとんど国外に向けた発信をせず、外国人登山者が訪れ得る環境も整備してこなかったにもかかわらず、近年堰を切ったように「インバウンド(招致)」の呼び声一辺倒になっているのも、このような背景によるものです。その上で、登山道の修復や外国人登山者の受け入れ態勢の拡充など、今こそ行政による主体的なコーディネート力が試される局面のはずですが、依然として国立公園の予算は減る傾向にすらあるのです。

雲ノ平山荘の
めざすもの

私たちはこうした現状を、ただ悲観材料として受け止めるのではなく、新たな時代を築くための転機だと考えています。今までは自然環境を主に国内向けレジャーの文脈で捉え、科学的、文化的なアプローチが乏しかったために、自然を評価する情報の多様性に欠け、自然環境を維持管理する仕組みも欠乏していました。結果的に、山には荒廃地が拡がり、文化としても一世代ごとのブーム以上の存在になりきれず、経済的な発展も細かいサイクルで頭打ちになる、という悪循環でした。この状況をより豊かに、創造性の高い方向に舵をきるべき時期が来ています。

豊かな人間の居場所として

自然は人間社会のあらゆる創造活動の源です。
雲ノ平山荘はスポーツや芸術、自然科学、ジャーナリズムなど、人と自然が織りなす様々な文化の前線基地として、訪れた人が新しい視点を発見できる場所でありたいと考えています。そしてそのためにはまずは山小屋が豊かな「人間の居場所」として、訪れる多様な人たちがリラックスして滞在できる空間であることが欠かせません。ただ歩くための中継地点であるばかりではなく、音楽や読書、食事や建築そのものを楽しむといった日常性の中で、等身大の存在として雲ノ平の自然に向き合えることが大切だと感じています。

自然と調和する建築として

山小屋は広大な原生自然の風景の中に唯一存在する建築物として、人の想像力や技術がどのように自然の美しさやデリケートな生態系に適応できるのかを試されています。
雲ノ平山荘では日本の木造建築の在来工法を駆使し、建築物として景観に調和した美しさを持ちながら厳しい環境下における耐久性を備え、バイオトイレやソーラー発電、雨水による生活用水の自足など、環境技術の実験場としても自然環境に負荷をかけない生活のあり方を追求しています。

社会の中の役割として

上述のように日本の国立公園では自然環境を維持管理するための仕組みが現状では非常に不足しており、その仕組みの基盤となるべき思想、科学などの学問分野も下火の状態が続いています。
またメディアによる情報発信もその多くが、観光情報やアクティビティーとしての「利用・消費」の方向に偏ったものになっており、人と自然の持続的な関係性を作り出すための世論が生まれづらい状況が続いています。
雲ノ平山荘では2008年から、今まで日本では体系化されてこなかった高山地帯における植生復元の研究を東京農業大学および各行政機関と共同で行なっており、これからの持続可能な自然公園の維持管理のあり方を提案しています。
また、学問やスポーツ、アート、ジャーナリズムなどの様々な分野で活躍する仲間たちと、現場での経験からしか得られない情報や表現活動を発信することで、社会と自然の多様で創造的な結びつきを深めることに寄与して行きたいと考えています。

手探りとも言える状態ではありますが、人間と自然、歴史と現代性、テクノロジーと遊び心、立場の違う人々が緩やかにつながり、より踏み込んだ自然の味わい方や新しいアイディアに出会える場所であることを目指しています。
私たち一人一人のちょっとした視点の変化で、人が訪れるほどに保護も行き届き、自然がもたらす豊かな精神性を社会に還元できる、創造的な登山文化が実現するのではないでしょうか。雲ノ平山荘は、そのような未来への懸け橋でありたいと思います。