特集|Features

雲ノ平山荘

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魂の宿る場所


ななかまど16号(2013年発行) 掲載記事 - 伊藤二朗=文・写真


人と時間と景色についての雑想

 時というやつは捉えどころのないものだ。
それは作る事ができない何かで、決して消える事のないものだ。
そしてそれはとても儚いものであって、しかし世界を覆っている存在なのだ。
例えば空、夕映えの空高くチョウゲンボウが悠々と旋回している景色、人間の音のしない世界の中に脈打つ鼓動。それは時だ。
また、どこかの朽ち掛けた古い農家が苔に覆われて、草影に消えてゆくこの瞬間。また、裏露地でぬくもりに見放されて座り込む浮浪者の瞳の奥の光…それは時だ。
終わりがあるから人も、草花も、街々も、夢中で季節の中を生きていく。
時を感じることはどこかで、美しさを思うことに通じる。
美しさの中に宿る、生きる意志のような物が、魂というものだろうか?…。
僕は、この世界の「魂」に出会いたいのだ。

夏の終わりの夕暮れ時、水晶岳が残照に照らされて、碧く沈んだ空に浮かび上がっている。
時には仕事の事はさて置いて、異国に居る旅人のように、ただ世界に身を浸してみる。そこにははっきりと、今この瞬間の季節の香りがあり、夜の冷気と日中の熱気のせめぎ合いが微かに感じられ、また同時に、人間の意識など意にも介さない冷厳な山々が聳え立っている。そしてふと、茫漠とした思いに駆られる。
山々の懐に山小屋があるという事。山小屋に人々が集うという事。そこにはビジネスマンや主婦、学生、商家、職人、音楽家や絵描き、クライマーから農家まで、きっとあらゆる人々が居て、日々の思いをそっと憩わせている。そして、周囲を取り囲む山影の向こう側には当然果てしなく世界が広がっていて、今しも祖父岳の頂に一片の夜風が舞うこの瞬間、僅か隣には、東北の被災地の困難があり、無機質な影に喘いでいる都市があり、大海原があり、戦争があり…喜びも悲劇も、あらゆる現実が渦巻いている。確かに、それら全てが、現実を共にしている。

思えばついこの間まで雲ノ平も原野だった。何万年もの人間など居ない歳月を、この土地は過ごしてきたのだ。空は無限に静かで、時に圧倒的に暗く荒れ狂い、大地にはオオカミが躍動し、花々が風に揺れウサギがぽつねんと跳ね上がる、日々は無心に流れた事だろう。同じ場所に、今はあたりまえの様に登山道が整備され人々が行き交い、谷にはダムが出来、ヘリコプターが飛び回り、様々な思惑が、時間が交錯する。その現実を今どうこう言おうというのではない。ただ僕は自分の中で、原野だった頃の雲ノ平の記憶を見据えていたい。その記憶の景色が自分の道標になって行くような気がするのだ。自分自身がここに居るという事も含め、この星の莫大な歳月の中で、人間の時間そのものが、夏の華やぎがあっという間に過ぎて行くように、きっと束の間の出来事なのかもしれない。土地の記憶に思いを馳せ、そこから世界を見渡すことで少し明瞭に、目の前で何が起こっていて、何が美しい物なのか、自分に問いかける事ができる。
そして景色の向こう側にあるものを見出して行く。それは時間の旅だ。ただ見えているものが景色ではない。あらゆる景色は様々な速度を持った時間や感情や、生命の意志で出来ている。草花の時間、人々の喜びや悲しみの時間、太陽の時間、大地の記憶の時間、かつて草原を疾駆したオオカミ達の時間、変化し続けるあらゆる物達の巡り合ったこの瞬間が、目の前の景色を織り成している。そして一つ一つの物達に宿る時間の軌跡が柔らかく結びつくとき、景色は豊かな広がりを帯びる。僕たちがどういう感情を世界に託すかで、景色は彩られている。無限の旅路が、今この瞬間の中にあるのだ。

春の息吹に彩られた森が賑やかなように、人には人の、心地よいざわめきがある。
例えば、古き良き文化の残る街の、人々の寄り添う酒場には、豊かな音楽のようなざわめきがある。そのざわめきはただの音ではない。それはそこに集う人々の見る夢の囁きだし、彼らと、その場所が経験したあらゆる出来事や、今しも込み上げる想いが、多様な花の咲く花畑から立ち上る香りの様に、一面に漂っているのだ。人々の声音と、微かなレコードの音色、古びた壁の染みや立ち込めるタバコの煙に、からからと食器の鳴る音、誰かの悲しみさえもが、ひとつの音楽になる。そこにはちっぽけな作為や演出は介在せず、世界と人々がただあるがまま、そこに存在する事の充足感に満たされている。それは長い歳月を掛けた、人と人、物と人、自然と街のふれあいから醸し出される世界の調和そのものだ。
そのようにして世界は、存在する全ての物が、互いを育み合っている。
だからこそ、僕は自分が世界の一部として、生み出せるものについて考えたい。自分を含むあらゆる物事が、どんな時間の中で生きて行くのか。時間はもちろん大金で潤うものではなく、世界の景色から生まれるものだ。時と共に劣化し、消費されるだけの工業製品に埋められた世界で、一体どんな良い夢を見ようというのか?そこでは既に、時間が経つという事自体が、美しくはありえないのだ。それはある意味で、世界への拒絶を意味しているのだから。あらゆる物は時に磨かれ、本質を顕わにして行く。なぜ大地に朽ちてゆく民家が美しく見えるだろう。なぜ二百年も使い古されて薄汚れた酒場の居心地が良いのだろう。なぜ四百年前の陶磁器が透明な美しさを湛え、二千年もそこに建っている石造の寺院がいよいよ冴え冴えとその存在を揺るぎなくしてゆくのだろう。それは「物」であった存在が、時と共に自然そのものになって行くからなのだと思う。物としての存在ではなく、まるで去来した季節の記憶や人々の思い出が、その物の素材と置き換わるかのように、世界に溶け込んで行く。そんな事を僕たちは美しいと感じるのではないだろうか。その美しさに、いつしか無言の意志が宿り、僕らに世界の記憶を語りかける。景色の美しさを守るという事は、世界の記憶を守る事なのだ。
今僕たちは、どんな世界の中で生きて行こうとしているのだろう?

ラジオからは今日も政治家たちが東北の復興について熱弁をふるう声が聞こえてくる。しかし僕にはいくら聞いていても、何の景色も思い浮かべることができない。語られる事の多くは金とか法律の話に終始する。要するには有るか無いかという話題が主なことで、時たま使われる“故郷”という言葉もどこか宙を空回りするような響きに聞こえる。もちろん現場でより深く実践的に活動を展開している人たちも沢山居るだろう。しかし大勢としては、どうやら僕たちの社会は、街だとか人の生活が、もっと感覚的な物事の上に成り立っていると言う事を、忘れてすぎているように感じる。自然や文化、歴史、信仰、個々人の感情や能力、友情、仕事。そういうもの全てが有機的に結びついて、始めて街にも、個人の生活にも生命が宿る。僕たちは何を寄辺として、跡形もなくなった街を復興するというだろう。家や土地あれば復興だろうか。仕事があれば解決できるのだろうか…。
状況こそ大きな隔たりはあるが、ヨーロッパの多くの国では過去の戦争のたびに破壊されつくした街を、破壊以前と同じ姿に復元しようを言う姿勢を明確に貫いている。日本とヨーロッパ社会の根本的な性質の違いを思えば、おいそれとまねをすれば良いという考えを持つ気にはなれないものの、そこからは少なくとも、明確な意志を持つことの重要性を感じる取ることが出来る。第二次大戦後にワルシャワの復興を指揮した人物が“歴史を奪われた国民は、国を奪われたのも同然だ”といって復興に邁進したらしいが、自然や歴史に育まれた街並みと、そこにある生活の形や、景色、記憶が社会にとってどれだけ大切な物かを端的に表現している言葉だと思う。その景色こそが唯一、裕福な人も、貧しい人も、子供も老人もが共有し得る価値観だし、それはさらに深く、大地の営みや、遠い過去の記憶に人々をつなぎとめてくれる存在でもあるのだから。考えてもみれば、たかが街角の、と或る老人がいつも腰掛ける小さな椅子ひとつ守ろうとしてみても、社会の大きな意志が働かなければ守り切れるものではないのだ。その椅子は街の景色だし、老人の居場所だし、街と老人の記憶そのものでもある。たかがひとつの椅子が物語る実に多くの景色を、僕たちの社会は心に留められるだろうか。
―そのヨーロッパでさえも現在は情報化やグローバリズムの波に文化性を大きく失いつつあるわけだが…―確かに日本の社会の在り方は、長い間イデオロギーや民族、国家間等の巨大な衝突に晒され続けたヨーロッパ社会の在り方ほど、堅固な思想や、石造建築的な普遍性を本分として発展してきたわけではない。寧ろ戦破れて山河あり、というような傍観的な無常観、自然観が深く基調となって成り立って来た社会だろう。多くの事を豊かな自然に委ね、同時に自然の限定の中で、状況に合わせて生きる事を漠然と、ある種の理念としてきたのだ。しかし、その昔のように今、人は自然に寄り添って生きているだろうか。如何なる時でも山河は穏やかに人々を待っていてくれるだろうか。残念ながらもう既に、そのような自然と人間の穏やかな関係性は過去の物になってしまった。原発の事故にも象徴される通り、僕たちは戦の跡に、山河すらも失い得る世界に生きている。人類は力を持ち過ぎてしまったのだ。その自覚の無いままに、空念仏のように“自分以外のもの”にすがろうとしても、答えてくれる物は何も無い。僕たちの社会には今、ぽっかりと理念が抜け落ちてしまっているのだ。理念のない社会は物事の質を評価する尺度を持たず、勢い合理的な科学技術や権力の盲進に歯止めを利かせる手段を持たない。全てが高速化した現代において、明確な理念―指標となる景色―を持たなければ、失う物はますます多くなってくるだろう。このような悪循環を抱えた社会の中では、本当に豊かな暮らしなど訪れるべくもないのだ。
今は立ち止まって、よく考えなければ。自分たちが何を共有し、どのような景色の中で生きようとするのか。そして現実の向こう側に広がる古の記憶の景色や、すぐ傍で同じ痛みを抱いている友人の存在をこそ、はっきりと感じる時だ。

かくして世界はめまぐるしく変化している。
もはやこの時代にあっては多くの物が、人間の五感で把握できる速度を超えてしまっているようにも見える。
そして僕はまた、雲ノ平の景色を思う。
空は遠い昔と同じように青く澄み渡り、彼方ではチョウゲンボウは悠然と翼を広げ、ハクサンイチゲが柔らかに風にそよいでいる。だが世界が変わっていくのと同じように、時代と共に確かに雲ノ平にも様々な変化が訪れている。それを必死に無かった事にしようとしても虚しいだけだ。美しさと破壊は紙一重の所で常に同居し、人も科学も、生まれる物は必然として生まれて来るのだから。
僕たちはこの世界の中で、自分の限界を超えて行くしかない。美しさに対する想像力の限界を。そして新しい世界の調和を体現し得る場所を作り上げていくしかない。
自然と人間に、歴史と現在に、古の文化とこれからの創造性に、互いに隔離され、時間の旅を失った人と人に、見えない架け橋を架けられるような、強く柔らかな包容力を持った場所。そしてたまらなく愛おしい、人々のざわめきに満ちた場所。

雲ノ平山荘はそんな場所でありたい。

2013年4月発行
巻頭:燕山荘の赤沼淳夫氏 「三俣山荘の伊藤正一対談90年の人生を語りつくした。」

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