山と僕たちを巡る話|登山道のこと(2)

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第8回
登山道のこと(2)

PEAKS 2019年5月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
登山道についての第2回は、雲ノ平の周辺について。

 (前回からの続き)
 今回は雲ノ平山荘の現場から見る登山道の話をしたい。
 山小屋の登山道整備がどういったエリアの住み分けで行なわれているかを知っている人はほとんどいないと思うが、雲ノ平山荘の周辺についてみる限り、ほぼ「慣例」で決まっている。薬師沢方面にコースタイムにして1時間半の雲ノ平側の木道末端まで、高天原方面に1時間のやはり木道末端まで、水晶方面に2時間弱の岩苔乗越、三俣方面に1時間半の第一雪田までと、全長約10㎞の範囲である。この地域で道の整備が可能な季節は、大体雪が解けて登山道が見え始める7月中旬から10月初旬までの3カ月弱。さらにハイシーズンの1カ月間はほとんど手が付けられないことを勘案すると年間2カ月ほどということになる。数えてみると、雲ノ平山荘では1シーズンで延べ20日間(40~50人工)ほど整備や修繕を行なっている。
 近年、現場で痛感しているのは、気候の「読めなさ」が山小屋の登山道整備のあり方に重大な影響をおよぼしていることだ。かつては大まかに残雪量、梅雨の雨量や期間、真夏の気温、台風の時期など、典型と呼び得る気候のパターンがあって、ある程度事前に状況を織り込んで作業計画を立てられたが、最近はその感覚は通用しない。昨年などはその最たるもので、なにもかもが極端だった。6月末の時点で残雪が7月末並みの少なさ、7月初旬の豪雨(平成30年7月豪雨)は未曾有の荒天が3、4日続き、それが止んでからはお盆すぎまで雨が一滴も降らない上に酷暑で辺り一面干からび、お盆すぎから降り始めた雨は9月下旬まで降り止まないばかりか、9月4日には強大な勢力を維持したまま台風21号が直撃、近隣の山小屋の屋根が吹き飛ばされるなどの被害をもたらした……など、経験則などまるであてにならないというものだ。
 それが現場にどう影響するかといえば、到底すべてを語り尽くせるものではないが、例えば7月の豪雨では、小屋の周辺の木道が多数流され、復旧に2日。残雪の少なさとその後の日照りは湧き水を枯らすなど水不足を加速させ、対応に2日。9月の台風では辺りの樹林帯の木々が無数になぎ倒され、登山道にかかった倒木処理に3日。その他慢性的な部分では、近年の温暖化が草木の成長を早め、登山道周辺の草刈りや枝打ちを以前より頻繁に行く必要があることや、度重なるゲリラ豪雨、長雨でそもそも登山道の崩れが加速していること。行政が35年前に敷設した木道がいよいよ一斉に腐食して粉状に崩れ出しており、最早修繕のレベルでないなど、じつに言い出したらきりがない。

 そして、気候や時代の変化に伴って登山者の混雑の時期も不規則になってくると、限られた人員で切り盛りするしかない山小屋の現場は、なかなかにシビアな状況判断を迫られることになる。雲ノ平山荘はむしろましなほうかもしれないが、元から採算ギリギリで運営している奥地の山小屋、過疎地帯の山小屋は営業期間も短く、経営体力も限られるなか、天は富める者にも、そうでない者にも平等にゲリラ豪雨も土砂崩れも与えたもうのだ。いまのところ「やるしかない」ということでやっているわけだが、いつまで持つのだろう。かくいう雲ノ平エリアも限界状態である。
 ではなぜ登山道の維持は難しいのかというと、原因はやはり気候にある。高山は寒冷な気候のために土を作る微生物の活動が弱く、地表面を保護する土壌層が非常に薄い場所が多い。雲ノ平でも10万年もの歳月でわずか10㎝~20㎝しか土壌が形成されていない場所はざらだ。そのわずかな土壌によって、植物が繁茂する環境は作られている。しかしそれが壊れるのは非常に簡単なのだ。ここで少し雲ノ平の典型的な登山道の荒廃のプロセスを説明しよう。
 まず、登山者が一定の道筋を歩き始めると筋状に植物が枯れ、土が露出し始めるとその部分の植物による保水力が失われ、ぬかるみになる。ぬかるみは雨や雪解け水で傾斜に沿って土壌を流出させ始め、U字状の溝になる。歩き辛さを感じる登山者は溝を避けて傍を歩くことで、またそこがぬかるみになる。やがて複線化した道が繋がり、幅広の侵食溝ができていく。あとは雨水、雪解け水、霜、乾燥、雪の摩擦などの環境圧でなし崩しに侵食は進む。通常、高山では土壌を形成する速度が侵食の速度には追いつかない。その後の経過は土壌の下が、岩盤質か、粘土質か、砂礫層かで違ってくる。岩盤や粘土層ならばある程度掘れれば止まるが、砂礫層だと際限なく掘り下がって行く。概して、登山道維持の難易度は利用者数よりも地質や地形、気候に決定づけられるのだ。
 もちろん100年単位で物事を見れば、自然はある時点で再生に転じるだろう。しかし登山道の難しいところは、現在使用しながら、同時に侵食をコントロールしなくてはならないことなのだ。しかも、人は山に景観を楽しみに訪れるので、「固めれば良い」わけではなく、景色への配慮は不可欠だ。僕の経験から、脆弱な地質の場所でそれらをすべて高次元に管理するのは至難の技である。(つづく)

PEAKS記事

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