山と僕たちを巡る話|建築としての雲ノ平山荘、あるいは山の中の船

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第11回
建築としての雲ノ平山荘、
あるいは山の中の船

PEAKS 2019年8月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
一大事業となった、雲ノ平山荘の建て替え工事について。

 2009~2010年にかけて、僕は雲ノ平山荘の建て替え工事を行なった。初代の雲ノ平山荘は父が1960年頃に建設したもので、ヘリコプターもない当時、職人たちが原野に泊まり込みながら現地の森の木を切り出し、製材し、最低限の工具だけで作り上げた黒部源流域開拓のシンボルともいえる建物だった。八角形を半割りにしたような独特な屋根の形状(※1)、荒削りなダケカンバやトウヒの木の質感など、雲ノ平の風土に溶け込んだ、素朴な美しさがあった。50年の歳月の風雪に耐え、さまざまな物語を生んだ小屋だったが、湿気による縁の下の腐食などの修復困難な傷みが進んだため、建て替えを決意した。かくなる上は、現代でしか作り得ない、新しい創造性に満ちた小屋を作るのみである。
 僕は雲ノ平山荘の建築を構想している際、「山小屋は“山の中の船”」というイメージを思い描いていた。山小屋というのは考えるほどに、自然環境に対して建築そのものが意思を持って自立するかのような、存在の強さがなければならない。それは海という圧倒的な自然現象に抗い続ける船の宿命に似ている。常に水中に半身を沈め、波風に揉まれるのが船ならば、山小屋も半年間は雪に沈み、夏場でも豪雨や風速30~ 40mにもなる突風に吹きさらされる。そして周囲数キロに渡る原野に囲まれるなか、内部にあらゆるライフラインを備えつつ人間の生活空間を作りださなくてはならない。
 船と同じように、全体の構造はシンプルで堅牢であるべきだ。かつての雲ノ平山荘をはじめとした多くの山小屋は、技術的な限界から一度にできる工事の規模が小さかったうえに、登山の大衆化とともに需要が拡大し、段階的に建て増しをするという流れのなかで多棟構造になっていたのだが、建物同士の継ぎ目から傷んでしまうことが多かったため、一棟で完結させることは極めて重要な要素だった。そして、メンテナンス性やコストのバランス上、必要十分にして最小限の大きさであることも忘れてはならない。
 瞬間的な強度ならコンクリートの建物が優れているかもしれないが、環境への適応性でいえば木造に勝るものはない。木造建築は文字通り生き物のように呼吸する建築である。木材はヒバ、栗、唐松などの耐朽性の高い国産木材を選び、また地面の湿気対策として高床構造にするなど、多雪で寒暖差が大きく、湿潤な雲ノ平の気候に適応するためのさまざまな工夫を施した。この建築に用いられた日本の在来工法は、法隆寺が千三百年以上の歳月を風雨に晒されながら持ちこたえてきたように、木材の特質を極限まで引き出し、多様な環境に適応する高度な技術なのだ。

 そのほかに船との共通点といえば、間取りとエネルギーの自足である。限られた空間に、客室、スタッフの生活空間、食堂、厨房、売店、倉庫、乾燥室、ロビー、トイレ、電気室、浄化槽など、複雑な要素を合理的かつ快適に配置しなければならない。登山者は美や新しい発見を求めて山を目指す、そして山小屋のスタッフにとっては長く密室的な共同生活の場である。どちらの立場においても喜びのある居住空間は欠かせない。小屋の大きさに比して食堂のスペースを大きくとったのもそのためだ。三俣蓮華岳や黒部五郎岳、雲ノ平の平原の広がりが一望できる窓や、空間を貫く荒々しい大梁、酒やコーヒーを嗜み、音楽を聴きながらリラックスできる場所、僕自身そういう空間を必要としているのだ。
 また、山小屋のエネルギー事情は立地条件ごとに独自のものだが、雲ノ平山荘では雨水だけで水を賄うシステムや、ソーラー発電、トイレのバイオ浄化システムなどの環境技術を採用し、可能な限り自然環境に負荷をかけず、自己完結できる要素を増やそうと試みている。自然美と機能美、伝統と現代性、テクノロジーや遊び心などが緩やかに調和し、普遍的な美しさを感じさせる建築が理想だ。
 山小屋は個人の生活空間である以上に、完結した小さな社会でもある。ランドマークとしての景観との調和、ホスピタリティー、登山道整備や遭難救助のあり方など、多くの要素において山小屋の性格がすなわちその地域の性格になるからだ。自然の美しさをじゃませず、どこまで人々の心に寄り添った豊かな世界観を作れるか。山小屋を取り巻く国立公園行政の機能不全や経営環境の悪化などが差し迫ったものであったとしても、僕が真っ先にするべきことは、なるべく豊かな「人間の居場所」を作ることにほかならない。社会問題の情報発信以前に、共有したいと思わせるポジティブな現実があるべきだし、話し合える仲間がいなくてはなにも始まらない。多くの人が愛着や好奇心を抱いて、ひとつの場所を行き交うことによって文化や世論は生まれるのだ。だから不遜に聞こえるかもしれないが、この小屋は、時代を超えて人々に愛される山小屋のシンボルになるべきだという思いがあった。
 現実を共有したい相手とは、この小屋で共に生きる家族やスタッフであり、訪れるすべての登山者たちだ。山小屋にはじつにさまざまな人が集う。学生、実業家、芸術家、学者、役人やジャーナリスト、外国人、若者や老人……それぞれの異なる思いを緩やかに包み込み、人と自然の向き合い方に新しい創造性をもたらす、優しくて刺激的な場所でありたいと思う。
 この船の旅路は僕の一生はおろか、100年後も200年後も、乗組員や乗客を変えながら続くだろう。いつの日か雲ノ平山荘が「人間も、自然の美しさに見事に寄り添い得るのだ」と証明するメッセージになることを願っている。


※1)積雪の荷重や風にも強く、多くの人にとって懐かしい景色でもあるこの屋根の形状は新しい雲ノ平山荘でも踏襲した。

PEAKS記事

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