10才からクラシックギターの演奏を始める。ニューヨークのマンハッタン音楽大学で学び、創造的音楽療法の現場で活動を開始。「人と人が本当に繋がるとはどういう事なのか」を思索の中心において、国内外で演奏を続けている。
【渡邉 塊さんの仕事】
山荘の食堂で彼が19世紀ギターの弦を一音弾いた瞬間、あたりは柔らかく、凛とした情感に包まれた。深い森の奥で、清らかな朝露が一滴、若葉から滴り落ちるかのような、生命感に満ちた音である。
「人と人がほんとうに繋がるとはどういうことかを考えの中心において、ギターと共に国内外を住み渡ってきました。」
彼の人生は見果てぬ旅路である。
10代前半でクラシックギターを始め、マンハッタン音楽大学で本格的に学んだ後、一切商業音楽の道には進まずに、日本、トルコ、カンボジア、アメリカなどの各地を転々と移り住みながら、音楽を通して自己と世界に向き合う旅を続けてきた。カジノ、客船、山村留学支援事業、熱気球会社、ベビーシッターなど、職業遍歴を振り返るだけでもめくるめく旅の景色が湧き上がってくる。
塊さんの即興的な要素の強い音楽表現はニューヨークで出会った「創造的(ノードフ・ロビンス)音楽療法」の思想に基づいている。それは、心や脳機能に病や障害を抱えている人たちに、言語を超越し、生命の深部の領域でコミュニケーションを図る手段、というべきものだ。
彼は既存の楽曲に頼らず、瞬間ごとの生命のヴァイブレーションに直に触れる音を「確かめ」続ける。その行為が結果として即興演奏となって自己の精神を浮き彫りにし、人々との深い交感をもたらすのである。
人と人が本当につながることは、彼にとってはそういう次元の話なのだ。
だが、音に生命が宿るからこそ、彼の奏でるスタンダードナンバーはまた、素晴らしい。
なかでも、スペイン民謡の「巡礼の歌」は、格別染み入るものであった。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道を行く旅人たちが口ずさむ歌であり、いつ生まれたとも分からない、年月を超越した普遍的なエレジーである。
終わりない旅路に佇む人々の心の震え、生きることの恐れや祈り、希望を歌い上げる彼の演奏は、聴く者を遠い世界に誘い、時代も、場所も忘れさせるのであった。
彼が雲ノ平にいた日々、僕はどれだけ共に盃を干し、話をしただろう。
生きるということ、世界をどう感じ、どう見ているのか、表現とは何か、、
旅を分かち合える友との出会いが、ただ無性に嬉しかった。
(文:伊藤二朗 撮影:森田友希、赤錆健二 編集:赤錆健二)