初代雲ノ平山荘が最後のシーズンを迎えることになった2009年夏、私は一登山者として、学生時代からの憧れの場所だった雲ノ平を目指して歩いていました。あいにくの雨の中、薬師沢からの急登を登ってようやく木道末端にたどり着いたのですが、アラスカ庭園あたりで盛夏なのに低体温症寸前でブルブル震えだす始末。ようやく山荘にたどり着くと、愛想のない若者が小屋番をしていて、ストーブにあたっていけ、煙突には物を干さないように、とぶっきらぼうに言いました。鰊うどんを注文して人心地ついた時、食堂の壁の張り紙に目が行きました。そこには黒マジックでこの山荘を建て替える事情と小屋主の決意が書いてありました。どんな人間がこの文章を書いたのか、ゴツゴツとしてアップダウンがある歩きにくい登山道のような、別の言い方をすれば歩きがいのある道なのですが、そんな文章を書いた人物とその背景に興味が湧きました。
それまで長年、写真取材を仕事にしてきたこともあり、下山して早速雲ノ平山荘の建て替えを記録しルポ記事にしたいと、取材を申し込見ました。それなら直接会って話をしたいと、10月中旬、小屋閉め直後の雲ノ平に呼び出されました。入山日はあいにくの天候で、双六小屋で嵐に捕まり、翌朝外は初冠雪で真っ白。そんな中、なんとか雲ノ平山荘にたどり着くと、出迎えてくれたのは、例の無愛想な青年で、それが伊藤二朗さんでした。
翌年5月末、まだ雪に覆われた雲ノ平へ。建築現場に大工さんや山荘のスタッフと一緒に寝泊まりして、新しい雲ノ平山荘が姿を表すのを記録しました(掲載誌「ふでばこ」は山荘にあります)。以来、気がつけば山岳ガイドとなり、仕事で毎年のべ1ヶ月以上を黒部源流域と雲ノ平で過ごすように。
専門は撮影とガイドですが、なんでもやれといえばやります。登山道整備、歩荷、料理とはじまって、スタッフの登山訓練、山荘に関係するビデオの編集など。ただ、山荘の食堂にぼーっと座っているだけのことも多いのです。
あと何回、元気で雲ノ平に来ることができるのか、そういう思いを抱く年頃になりました。人生に「もしあの時」という瞬間はいくつかあるのでしょうが、二朗さんのあの文章をあの時読んでいなければ、山に通う今の自分はなかったでしょう。
黒部川源流域には赤木沢をはじめとして歩きやすい沢もあり、この山域を縦横無尽に歩き回った「黒部の山賊」に思いを馳せながらの遡行も楽しむことができます。ガイドとして、雲ノ平と黒部源流域の魅力をお客様にお伝えしていくことが、今の私の課題でありささやかな使命だと思っています。
まるで方舟のように、ここに集う人々を乗せて、自然と時空を旅する雲ノ平山荘へ、ぜひお出かけください。