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景色


ななかまど18号(2016年発行) 掲載記事 - 伊藤二朗=文・写真


気が付けば春。

人間の営みがどんんあに混沌の度合いを深めようとも、春の甘い息吹は空高く、あるいは地中の深遠から込み上げてくる。冬枯れのガランとしていた草原にも、ある時振り返れば、花々の熱気を孕んだ陽だまりが、何食わぬ顔でたゆとうている。当たり前の事だが、人はこの星のめぐりの中に我知らず - 本当に我知らず - 生きているのだな、と改めて感じてみたりもする。また1年が経った。そしてそれが何だというだろう。去年と今年で草木の心境が変わったという事もあるまい、熊やカモシカが地球環境の未来を俄かに悲観し始めたという事も多分なく、土は土のまま、石は石のまま…数千年、数万年、それ以上遥か昔の記憶と共に - いや、変わらぬ組成の元にと言うべきか - ただ無心に存在する。君たちはそこにある、という事だけが真実なのか、とふと思う。

人は時間の概念の中をひたすらに流転する。去年と今年、昨日と本日、株価が上がりました、新幹線が出来ました。戦争が起こりました。祭りが開かれました。それはそれで感じ入らざるを得ないが、最早飽和状態を迎えて久しい。そしてその慌しさも一歩退いて見てみれば、とある季節の静かなる一場面に過ぎないのであろうし、熊やカモシカが日々生きている事となんら変わりないことのようにも見えてくる。人と自然、この本来は存在しないはずの境界線に僕は最高の軋轢と、物語を見る。空虚と、熱狂と、夢と、なつかしさ、憧れ、美と知性、あらゆる自我というもの…。

この世界の真実とは孤独なものだ。そして捕らえる事を許さない、自由で、無常な物だ。

無垢な自然界に分け入って僕らが呼び起こされる感覚は、そういった孤独の発見とでも言うべきものなのかもしれない。人間の思惑や愛憎のコントラストが描く、相対的な孤独の発見とでも言うべきかもしれない。人間の思念や愛憎のコントラストが描く、相対的な孤独ではなく、より静かで純粋な孤独。誰かに助けてもらえない孤独、とか優しくしてもらえない孤独ではなく、存在の孤独。即ち生きている事の孤独。これらの孤独は傷付きようも無く自由で、残酷だ。

そしていつしかその美しさと恐ろしさに、僕等は引き込まれて行く。

今しも淡い灰色の空から温かな雨が降っている。春の雨は気持ちよいものだ…。今年はなぜかそんな風に感じる。

今、山はブームらしい。

ブームの定義が何だかは知らないが、僕の印象ではブームというやつはあくまでも日常性からは逸脱したものであって、いずれ"時代のノリ"のようなものが失われると、次の世代には見向きもされないという顛末を迎えたりもするので、あまり肯定的な気分にはなれない。しかし今回の山ブームは過剰に高速かつ無機質になりすぎた現代社会への根源的な反動の感も強いような気がするから、あながち短命でもないかもしれない。さればこそ僕たちはいかに現実を、確かに自分の手で掴み取っていけるかを考えたいものだ。

ともあれブーム。

どれに伴って登山になれ親しまない若者や外国人が沢山来ており、今までまかり通ってきた(暗黙の)ルールや登山の常識が通じなくなってきている、と多くの関係者は指摘する。そして遭難も多くなってきたと。僕も現場にいるので大体の認識を共有出来るが、今まで存在していたそのルールやマナーなるものが、いったいどれだけの物だっろうか、とも同時に思う。そもそもそれは多くの場合、登山中や山小屋宿泊時の振る舞いのような事を指している訳で、明文化されたルールではない。写真にも写っている事だが、つい20、30年前までキャンプ場や登山道はゴミだらけで、今にも増して団体登山客の小競り合いやわがままは多く、無闇に威張る登山ガイドも比較的目立っていたし、山小屋の環境意識も低いと言わざるを得ない時代が長かったのを、ようやく最近になって改善してきたのだ。ゴミに対する常識で言えば最近山を訪れる大陸のアジア諸国の人たちは少し前の日本人に似ていなくもなく、近年山に来始めた若者などは、基本的な事を知らず危なっかしいく思う場合もあるが、宿泊時の振る舞いなどは行儀が良すぎて心配になる事さえある。その意味では若者や外人をどこか異色扱いしたり、警戒したりする人々こそ危うくも見える。すっかり棚に上げてしまっているが、その当人達はかつてゴミだらけのキャンプ場を利用した世代なのかもしれず、議論の対象である若者は彼らの息子や孫の世代でもあるかもしれない。次の世代を理解できないのは登山の問題とはまた別の、より根深い問題なのではないかと思う。それはいわば短期的な利益を追求するばかりで精神的な持続性を軽視し、場当たり的に価値観を変化させてきた近代日本のもろさともいうべきものだ。日本の登山の歴史を紐解いてみても、戦後はしばらくまではアルピニズムの思想に感化された上層階級の人たちが登山者の大多数であった登山界が、その後周期的に起こるブームにより山の歌、ワンゲル、百名山、若者だ、中高年だとスタイルや思惑はめまぐるしく推移し、そもそも自然への関わり方を社会の普遍的な文化や教養として確立しようと試みた形跡も希薄である。言わば常に自然そのものよりも、その時々の流行のスタイルや行為に重点が置かれていた感が強く、胸を張って自慢できるルールなり常識、価値観などは(法律さえも)、こと自然公園にまつわる状況においてはいまだ嘗て存在していない。

昨年巷では中部山岳国立公園制定80周年という事でささやかな祝福ムードも漂ったが、国立公園設立当初から自然そのものの価値を評価し、思想的なおし科学的に厳正に保全しようとしたという事実はなく、現在の世界遺産登録の誘致活動に類似した観光地開発の向きが強かったことはほとんど知られていない。以前にも言及した事があるが、そもそもからして現在も自然公園の権限の所在は非常にあいまいに分散しており、北アルプスで言えば土地は林野庁、自然保護は環境省、川は国土交通省、ダム周辺は電力会社、登山道の維持管理は権限も無い山小屋、公共事業の受け皿は地方自治体、それぞれに思惑に相当な隔たりがあり相互連絡もほとんど無い、というような状況でまともに機能するはずがなく、その中でも自然保護を担うべき環境省こそは国の行政機関中で最も弱い存在だ。電源開発の大義の下では国立公園内にも際限なくダムは造られ、いつの間にか生態系の大変化が起こっているわけだが、客観的な調査がほとんど成されなかった為その変遷を辿る為の資料は乏しいし(しかも事実上失敗と言うべきダムも多い)、今しもブームとは裏腹に自然公園関連の国家予算などは、ただでさえ5倍や10倍にして欲しかったような規模であったものが右肩下がりで縮小している状況である。そのコントラストには大きな虚しさを感じざるを得ない。即ち今回のブームにともなう問題に関しても、誰それが正しくて誰が間違っている、もしくは以前は良くて今は悪い、という評価は成立しようもなく、今まで繰り返されてきた流動的な状況変化の一環でしかない、というのが現実だと思う。あるひとつの状況を将来的に、あるいは国際的にも説得力を持たせたいのであれば、少なくとも明確な方向性を関係者が皆で共有し、目的を実現する為の合理的なシステムを構築しなければならない。

話はやや戻って、そんな最近の状況変化に関する議論の流れで"ここは新たなルール作りが必要だ"という気運が出てきてはいるが、何が始まったかと思えば、各市町村、NPOやら関係団体がまたしても相互連絡も希薄なまま、入山届けや登山中の行動規範について、バラバラに独自のルール案を宣言し始めている。そもそもからして、大枠の制度や権限の所在が不明瞭で、まずは現状を認識し、整備しなければならないところを、追い打ちをかけるように複数のルールや条例を宣言したところでどうするというのだろう。

例えば以前も携帯トイレを富山県では水晶して長野県では取り沙汰しなかった為に、結果回収経路が不整備で不法投棄が相次ぎ、携帯トイレの話そのものがうやむやに立ち消えたようだが、それに税金をどれだけ使ったであろう。そういう過去の事例を知らないのか、初々しい新任の役人がまた同じような"前向き論"を歌いながら同じ轍を踏もうとしている。彼に詰め寄ってもどうせ近い内に別人になってしまうだろう。自然が大切だというのならば、そろそろこうした稚拙な方法論tpは決別するべきだと切に思う。

紙面の都合で中途半端ではあるが、今回はこれにて終わりにしたい。何しろ道は続いている。僕としては日本の社会の本質的な問題は、論理性の欠如、文化的な価値基準や想像力の欠如、コミュニケーションの欠如であって、今のところあらゆる局面でこれらの各種欠如が立ちはだかっているような気がする。批判的なことをいうととかく「ともあれ一歩ずつですよ、一歩ずつ」と言いたがる人が出現するが、目的や理想の無い一歩ずつがどうなるかは上述したように歴史が証明している。ブームと言われる今、国立公園関連の予算は下がり続け、登山道の荒廃や鹿の食害の問題など、早急に手を打たなければ取り返しが付かなくなる問題も、ほとんど手が付いていない。本当に前向きな事は、まずは現実であり、過去を知る事だし、実りの無い縦割り社会から脱却する事だと僕は思う。そういったわけで愚痴を述べただけのような記事になってしまったが、これは前向きな姿勢としては、引き続き野良仕事に励む所存です。

2016年5月発行
巻頭:川崎深雪「祖父の志を追って」
邂逅の人と山 伊藤正一、「三俣山荘 展望食堂 夜の部オープン」

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