山と僕たちを巡る話|山小屋の窓

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第1回
山小屋の窓

文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
連載初回はご挨拶を兼ねて、自己紹介から始めてみましょう。

 よく晴れた夏の昼下がり、窓から外を見やれば黒部五郎岳の背後に柔らかな入道雲が聳え、池塘の周囲にちらほらとコバイケイソウの白い花がそよ風に揺れ、その景色を黒アゲハ蝶がふわりと横切って行く。
 ここから見えるものたち。
 空模様、花や草木、登山者、人々の喜びや悲しみ、自分の記憶、空想、社会というもの……。
 山小屋は自然と人間社会の狭間に浮かぶ一艘の船のようなものだ。
 ここでの生活は自然の美しさと共にあるだけではなく、ときとして人間を拒絶する厳しい自然環境の脅威から人々を匿い、同時に人々の往来によって壊されてしまう登山道や生物たちの景色をこつこつと繕い、両者の接点に存在するからこそ痛切な矛盾に向き合わざるを得ないことも少なくはない。
 この船の窓から見える景色は美しく、複雑なものでもある。

 まずは自己紹介がてらコラムに通底するテーマとなることを書きたいと思う。
 僕は黒部源流域の開拓者である父・伊藤正一の後を引き継いで雲ノ平山荘を経営している。
 毎年夏になると父に連れてこられた幼少のときから数えれば37年、仕事として入るようになってからは17年になる。この時間を長いというべきか、短いというべきか、自分にはわからないが、小屋の北側の窓から向かいの斜面に見えるダケカンバの若木が、森林限界付近にもかかわらずしぶとく生き延びているのを眺め、「思えば一回り大きくなったような気がする……」という程度の時間であることはなんとなく理解している。
 長いように思える人生も、チングルマの開花をあと30~ 40回も見れば一睡の夢のようにすぎていくのだろう。子どものころは疑いもなくすばらしい遊び場であった山も、いつの間にか難しい知恵の輪を読み解くような思いで眺める仕事場になった。ときに人から山小屋を継いだ理由を聞かれて答えに窮することがあるが、それは親孝行とか歴史を背負うとか、単純なセンテンスに帰着させられることではない。育てられた土地と個人の関係性は、情緒的に読み解くにはあまりにも不可分な結びつきがあるものなのではないかと僕は思う。自分の身体や心を好きか嫌いかで語れないように、僕にとって雲ノ平は生ある限り最善を尽くして向き合うべき日常だ。

 ともあれ、山小屋の業務はじつに多岐にわたる。宿泊業全般をこなしながら、登山道整備、遭難救助、行政や学術機関との各種連携、登山者への啓蒙活動など……。しかもそれを毎年少なからず入れ替わるスタッフと共同生活をしながらコーディネートしなければならない。
 そういう意味では、原野に建つ「なんでも屋」ともいうべき存在だし、目の前で起こる現実に対応するうちに、いつしか人と自然の接点で起こり得る、ありとあらゆるできごとを垣間見ることにもなる。この視点こそ山小屋の住人ならではのものなのだろう。
 山小屋の仕事の本質は、社会に対して偽りのない自然の姿を映し出す窓の役割を担いながら、人と自然の関係性を創造することだ。そして自分に与えられた時間の短さを思うほどに、ここで取り組む活動は個人で完結するものではなく、将来になにを引き継いでいけるのか、という橋渡しの意味合いが強いものだと思っている。 「山と僕たちをめぐる話」でも書いたが、日本では自然を楽しみ、利用する力は非常に大きいのに対して、その自然を持続可能な形で守っていく考え方が圧倒的に不足している現状がある。歴史的にアクティビティとしての登山は広く大衆に普及したのだが、それと共存するべき自然保護的な価値観が社会に根付かなかったことから、国立公園の在り方が観光利用の文脈に極端に偏ってしまっており、肝心な自然環境そのものを維持するのに必要最低限の学術的なアプローチ、予算、人材などが欠乏している。それを埋め合わせるようにして山小屋が登山道の維持管理をはじめとした多くの公共的機能を果たしてきたわけだが、登山道の荒廃が深刻化する昨今、山小屋の経営環境も多くの面で逆境に立たされており、全体として国立公園のシステムというにはあまりにも脆弱な様相を呈しているのだ。
 この現状をより豊かに、持続可能性の高い方向に舵をきるべき時期が来ている。社会が自然環境に積極的に関与し、人と自然双方に寄り添ったシステムを構築しつつ、質の高い情報発信ができれば、日本の自然の持つ魅力は間違いなく世界中からの来訪者にも大きな驚きをもって迎えられることだろう。

PEAKS記事

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