山と僕たちを巡る話|地域制自然公園(3)

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第15回
地域制自然公園(3)

PEAKS 2019年12月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
イギリスの国立公園に学ぶ、地域制自然公園のあり方。

 (前回からの続き)
 20年ほど前、まだ二十歳の僕は冬のスコットランドを彷徨っていた。果てしなく続く赤茶けた枯野、雨がちで、灰色の空のところどころの雲間から斜光線がさし、ときおり虹がかかった。こちらを見つめるのは羊たちだけ。荒涼としていて、ほかになにもない。その景色が妙に美しく、寄る辺ない旅の心に優しく写ったものだ。あの場所に住んでいる人々のことを思いながら……。
 今回は地域制公園の好事例として、イギリスの国立公園のあり方を紐解いて見たい。とはいえ、はじめに白状すると、その知識とて自分自身で取材したものではない。手元に『イギリス国立公園の現状と未来』(※1)という学術書があるのだが、多くはそこで学んだことだ。この本は法学、環境社会学、林政学などのさまざまな学者が協働し、入念な現地取材に基づいてイギリスやその他ヨーロッパ諸国の優れた自然公園の運営実態、自然保護の取り組みなどを多彩な観点から読み解き、低迷している日本の国立公園の今後のあり方に具体的な示唆を与えることを目的としており、僕などが解説するまでもなくわかりやすい。
 ざっくりと、特徴的な事柄を紹介したい。
 前回、ヨーロッパの地域制公園の強みは、民衆の間で自然保護のインセンティブ「意欲」が共有されていることだと書いたが、実際の制度にもそのことはよく表れている。
 イギリスの国立公園は日本と同じく地域制を採用しているのだが、運営体制そのものが民主主義の雛形とも呼ぶべき形になっており、地方自治体や住民、学者、NPO、国、利用者団体など、あらゆる関係者が密接に関わり合いながら舵取りが行なわれているのが印象的だ。
 公園ごとに、国から独立した国立公園庁(NPA)という機関が設置され、公園のグランドデザインともいうべき管理計画をNPA内部の「評議会」という組織が中核となって作成する。そのメンバー構成も、たとえば30人の内8人は国が選出した専門家、6人はエリアに関わる村の代表者、その他16人は市や県の代表者(※2)というように、初期設定として公園を取り巻く社会のさまざまなレベルの意向が織り込まれるようになっている。また、NPAと地域社会の多様な利害関係者との間でもワークショップを開き、議論を重ねることで、異なる立場同士の相互理解を深めながら結論を導くことが慎重に担保されているのだ。
 このプロセスによって、学者やNPO、住人の自然・景観保護的な要請、利用者の利便性、サービス面の要請、自治体の地域振興、経済合理性の要請などが一定の対立を孕みながらも妥協点を見出し、必然的に関係者全員が「当事者」として国立公園のアイデンティティに組み込まれる形になっている。
 また、決められた公園の管理計画は、地方自治体の開発計画よりも優先され、これに基づいて地域社会が協力・分担して地域づくりをする構図なので、だれにとっても国立公園が他人事というわけにはいかず「自分で決めたこと」として責任を取る仕組みになっているのである。
 規制に偏りすぎると分断を生むことは以前にも書いたが、イギリスでは規制を前面に出さず、景観美や自然環境の保全といった「公園の目的」に協力した事業者、たとえば農業者の有機農法の実践、伝統的建築の維持などにきめ細かく支援を行ない、複雑な補助金制度の利用を促すための一元的な相談窓口を設けるなど、行政がコーディネーターとして積極的に関与しているのも特徴的だ。

 補助金を「バラ撒き化」せず、規制をポジティブに機能させるためには、科学やものづくりの観点で、各種事業のディテール、景観美や生態系の実態を具体的に評価する尺度が不可欠だが、それが徹底されている。
 そして、国民に対して国立公園の活動や魅力、経済効果などをていねいに発信することで、財政支出への理解をも促す一方、企業による寄付やボランティア活動なども活発で、文字通り全社会的な営みになっているのだ。
 このことを見ていくと、やはり地域制公園の要は多様な意見を集約し、共有可能なビジョンを確立した上で「参加型」の仕組みを進化させていくことにあると思う。日本のように官と民、行政機関同士が分断され「民間事業に行政が関わるとうまくいかない」とか「補助金をもらうと従属関係になりかねない」という概念ではなく、補完し合うなかで物事の精度を高めていくのである。
 翻って日本では、国立公園に管理計画自体がほとんど存在していない(管理しないことがある種の建前ですらある)。前回書いた通り、そもそも「自然保護」の文脈が脆弱で、林野庁や国土交通省などの他の国の機関との力関係でも、環境省がイニシアティブを取れる状況ではない。
 地方自治体ごとの連携もなく、公園の実体的な運営は山小屋などの第三者、地域住民との対話も北アルプスでは皆無だ。また、環境省の人材不足に加えて、学術研究も下火状態で、客観的な状況把握が存在しないために計画を立てることができないし、国民への情報発信も行なわれず、予算や人材の確保も糸口が見いだせていない。さまざまなことが悪循環になっているのである。
 人間社会と自然環境の共生が世界的なテーマとなり、自然をめぐるアクティビティに対する国際観光的な機運も高まるなかで、これらのことは純粋にもったいないことなのではないだろうか?
 イギリスでも、かつては現在の日本の国立公園にも通じる問題を多く抱えていたのを、徐々に改善してきたことを思えば、これは大きな「可能性」の話でもある。
 次回は、山小屋の視点で見た協働体制の可能性について探ってみたい。(つづく)


※1)『イギリス国立公園の現状と未来』著:畠山武道、土屋俊幸&他6名(北海道大学出版会)。

※2)イギリスの行政区分は日本と違う。ここでは便宜的にカウンティ≒県、ディストリクト≒市、パリッシュ≒村としている。

PEAKS記事

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