山と僕たちを巡る話|薬師沢小屋との共同登山道整備

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第18回
薬師沢小屋との
共同登山道整備

PEAKS 2020年3月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
同じ山域で共在関係にある山小屋との結びつきについて。

 登山道の維持管理の問題が深刻になりつつあるというのはこれまでも書いてきたが、世論の危機感や行政の制度改革がなかなか現実に追いつかないいま、もっとも手早く実行に移せる打開案が「現場にいる人間がより協力し合う」ことである。
 これを雲ノ平山荘と薬師沢小屋(太郎平小屋)は2017年から実践している。そんなことは当たり前なのではないか、という声がどこかから聞こえてきそうだが、これがなかなか一筋縄ではいかないのだ。山小屋というのはそれぞれが独自のルーツや考え方を持ち、立地条件にも左右されて仕事や生活のサイクルが密室的に発達する。近年は毎年スタッフも少なからず入れ替わるうえに、日々の雑事に忙殺されていると、意外に近隣の山小屋同士でも意思を共有するのは難しかったりするのだ。ましてや黒部源流域は長野、富山、岐阜の三県の県境が交差するところであり、経営者の生活拠点がたがいに遠く離れていることで文化の違いも大きいのである。
 しかし幸いなことに雲ノ平山荘と太郎平小屋の系列の山小屋は、この10数年来の交流のなかで親密な関係を築き上げている。これは薬師沢小屋に同じ顔ぶれが働きに来続ける状況があってこそのことで、太郎平小屋の若旦那の河野一樹さんはもとより、最近文筆家としてデビューした薬師沢小屋の大和景子さん、赤塚くん、高天原山荘の高橋さんたちは気軽に話し合える仲間である。
 共同の登山道整備を始めた最大のきっかけは、薬師沢~高天原間を結ぶ大東新道の急激な荒廃だ。近年のゲリラ豪雨による突発的な鉄砲水などの影響で(※1)、行程の3分の1程度が沢沿いにある大東新道は、いままで登山道が通っていた河原が削られて消滅したり、ハシゴが崩壊するなどの大きなダメージを受け、一般登山道としての存続が危ぶまれる事態に陥っている(※2)。そしてその修繕などを行なっているのが薬師沢小屋と高天原山荘なのだが、元来それぞれが3名前後しかスタッフがいない小さな小屋であり、人手を大東新道方面の整備に割かざるを得なくなると、それまで薬師沢小屋が整備を受け持っていた雲ノ平方面の急登部の整備にまで手が回らなくなってしまう。
 一方で、大東新道が通行困難になる頻度が増えたことで、登山者の薬師沢~高天原間の行き来は必然的に雲ノ平を経由することが多くなるため、高天原山荘にとっても雲ノ平方面の登山道整備の重要性は増してくる。しかも、雲ノ平にいたる高低差500mほどの急登はただでさえ丸っこく滑りやすい大岩の集積のような悪路で、雨が降ると道そのものが水の流れになってしまうため、登山者の評判は芳しくないところなのだ。そしてこの悪路は、雲ノ平を目指す登山者の大多数が通る道である。
 それまでは慣習として薬師沢小屋が整備する区間だったが、あらゆる点で急登の状態こそがこのエリアのボトルネックになっているため、雲ノ平山荘から共同管理の提案にいたったわけである。巨岩だらけという地質条件のため、抜本的に改良するのは難しいが、なるべく歩きやすく、すごしやすい雰囲気を演出しようということになった。

 共同作業の実施は夏山シーズンの賑わいもひととおり落ち着き、そろそろ本格的な小屋閉めの準備が始まろうかという9月下旬。谷底の薬師沢小屋と雲ノ平山荘からそれぞれ3、4名ずつのスタッフを出し、急登上部で待ち合わせて作業開始である。オオシラビソ、トウヒ、ダケカンバ、ナナカマドなどの樹種が混生する典型的な亜高山帯の森は、この時期には葉を黄や赤に色づかせ始め、秋の淡い日差しに照らされて、どことなく儚げな、透明感のある美しさを感じさせる。酷暑の夏は蒸し暑いこの森も、秋はすこぶる気持ちいい場所である。
 一行は森のなかをまっすぐに続くゴツゴツした道を下りながら、流倒木を処理し、枯れ枝を片付け、岩を組み替え、とくに足場の悪い場所には同規格で作って持ち寄ったハシゴをかけるなど、着実に作業をこなしていく。
 ひとりやふたりで粛々と作業をしていると、進みの遅さもさることながら、すぐに話すこともなくなり、やがて迷路に迷い込んだような徒労感に襲われる作業も、近所付き合いの親睦を深めながら、技術交流もし、力自慢のスタッフ同士は競い合って巨岩を片付け、道具好きな者はチェーンソーを駆使し、疲れたら少しお茶でも、などとやりくりしていくと、存外に楽しく時間はすぎるものだ。
 苦しいばかりに見えた急坂の悪路も、振り返ればなんとなく人心地のする里山風の景色になった……はずはないのだが、だいぶマシにはなったような気がする。
 かくして、3年間恒例として続いている道直しは、苦しい事情もさまざまに抱える山小屋の現場にとって、ささやかな希望である。
 犬も歩けば棒に当たるように、人も生きていればなんらかの問題にぶつかるもので、されば、苦しいときにこそ新しい考えを生みだし、友情を結び、可能性を増やしていきたいものだ。太郎平小屋のみなさん、今後ともよろしくお願いします。

(※1)温暖化の影響で融雪期に気温の高い状況で降る豪雨により急激に溶け出す雪融け水と雨水が相まって土石流が発生するなど、かつては滅多になかったような現象がしばしば起こっている。

(※2)とくに雨天の増水によって通行困難になりやすい。また途中で横切る黒部川支流の荒廃により、鎖場などが増え、体力のない登山者には推奨しづらい状況になりつつある。

PEAKS記事

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