山と僕たちを巡る話|これからの話

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第23回
紫陽花の花のように

PEAKS 2020年8月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
7月20日の営業開始を控え、慌ただしい日々。忘れることのない未知の夏が始まる。

 紫陽花の花がだんだんと色褪せて枯れていく光景を見るのは、何年ぶりのことだろう。水彩画と切り絵を混ぜたような、あるいはいまにも梅雨時の水っぽい大気に溶け出してしまいそうな、その柔らかな佇まいが昔から好きだった。
 しかし、いつもは咲き始めた頃合いに山に入ってしまうから、のんびりと眺めている暇などはない。だから、開花期には濃厚な紫や紅だった色が、時を経るごとに淡い斑様の色調に変わることや、昨年は白い花をつけていた株が今年は薄い桃色を帯びた花を咲かせていることなど、ささやかな発見であった。
 もっとも、今年こそ、それを眺める自分に心の余裕があるかといえば、そんなはずもないのだが……。
 とうとう7月。
 入山に向けた準備も大詰めを迎えている。とはいっても、例年とはまるで勝手が違うことだらけで、はたしてこの夏、どんな日々が待ち受けているのかもいまひとつ実感が湧かぬまま、ひたすら目の前の現象をひとつ、またひとつと乗り越えていくしかない。
 例年との最大の違いといえば、業界の総意で導入した予約制だ。いままでは、山小屋といえば「来るものを拒まず」が当然であって、予約制に移行できるとは、多くの関係者が思いもよらなかったことだったが、コロナによって、あっけなく現実のものとなった。
 雲ノ平山荘では小屋泊を全面的に、テント泊は限定的に予約制にし、7月から一斉に予約受付を開始したことで、この数日はめくるめく電話着信の洪水に見舞われた。目眩のするようなことではあったが、ある意味で、コロナの呪縛を振り切って山を目指す人々の、強い情念に接したような心持ちにもさせられたものだ。そして、今年はコロナ対策ありきの、なかばやむを得ぬ予約制の導入ではあるが、今後この経験は山小屋の世界に大きな転機をもたらすかもしれない。
 そもそも山小屋も、近年は高度経済成長期に確立されたビジネスモデルを継続するには、さまざまな側面で限界をきたしていたのだ。1960年代から2000年代にかけて、人口増加を追い風にして、サービスの質など二の次でも登山者があふれていた状況や、安定したヘリコプターによる作業供給、輸送費の安さ、建設費の安さ、低賃金でもスタッフが集まったことなどの環境に依存して山小屋の業態は成立してきた。しかし、それらの条件が急速に消滅しつつあるいま、時代に即した変化は避けられないものとなりつつある。
 薄利多売戦略ともいうべき現状のビジネスモデルでは、今後ますます高騰する建設費、設備費を捻出できないだろうし、働き手の確保も難しくなる。また、国内需要が縮小するこれからの時代は、多少宿泊代を値上げしたとしても受け入れられる質の高いサービスや、国外の人々にも胸を張れる滞在環境の提供は不可欠だろう。詰め込み型の集客からの脱却と、予約制が取りざたされるのも、時間の問題だったのだ。キャンプ場に関しても、利用人数を管理する権限がどこにも担保されていないなか、オーバーユースが深刻化していたこともあって、予約制の試みはひとつの指標を与えるだろう。

 そしていかなる原因にせよ、このまま山小屋が弱体化すれば、山小屋がこれまで担っていた登山道整備などの公益的な業務にも綻びが生じ、ひいては国立公園や従来の登山文化の形も維持できなくなる。こういったことに関しても、コロナ禍で事態が急激に逼迫したことで、ほとんど話し合うことのなかった広域な山小屋同士が、おたがいの課題や現状などについて話し合うようになり、環境省なども国立公園の管理体制についてかつてなく危機感を強めていることは、間違いなくポジティブな要素である。
 もとより、経済力や能力がまちまちな山小屋に、国立公園という国民の財産の維持管理を半ば丸投げしていたいままでのほうがおかしかったというべきで、これからは少なくとも可能な限り多くの関係者が緊密に協働し、安定した形で守っていけるようにしていきたい。
 ともあれ、現実問題として、今シーズンは、多くの山小屋の売り上げが2、3割程度に落ち込むと思われる。コロナ禍はたしかに重大なピンチであるが、「茹でガエルの法則」(※1)を思えば、捉え方によっては気付け薬のようなものである。手遅れになる前に、客観的な状況に気づくきっかけを与えられたのだ。
 そして今回の災禍は、登山業界の話にとどまらず、日本という国の構造問題や、世界経済の危うさの話にも直結している。コロナ禍はグローバリズムの慢心や幻想を蹴散らして、人間存在の脆弱性を白日の元に晒したのだ。
 世界を見渡せば、コロナを引き金として、潜在的な歪みが途方もないスケールで吹き出しつつある。中国の覇権拡大、国家安全維持法による香港市民への弾圧、ブラックライブズマターの光と影、世界各地の宗派、民族間対立の激化……一定以上の貧困や恐怖は、人間の弱さや本心を剥き出しにし、やり場のない苦しさがやがて他者への憎しみへと変わるとき、争いが起こる。
 人類は大きな節目の時を迎えている。さりとて、グローバリズムという壮大な共依存状態の世界には容易に引き返す道などはない。
 山小屋問題どころではなくなるのではないか……そんな胸騒ぎもするなか、雲ノ平はきっと、いつもどおりの姿で僕らを出迎えてくれるのだろう。
 いまはただ、軒先に咲く紫陽花のように、無心に生きることの強さを持ちたいと思う。そして、みんなが平和な日々を送れるよう、それぞれが踏ん張るしかない。


※1)茹でガエルの法則は科学的には虚偽であるらしいが


PEAKS記事

※画像クリックでPDFが開きます


前の記事 記事一覧 次の記事
ページトップに戻る
cKUMONODAIRA SANSO ALL RIGHTSRESERVED.