山と僕たちを巡る話|これからの話

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第25回
アーティストたちの日々

PEAKS 2020年10月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
かつてないほど静閑な雲ノ平に発した芸術の息吹。

 8月になって以降、まとまった雨が降らない。降水量によっては一晩に10トンほどもタンクに水が溜まるのだが、このひと月は全部で3トン溜まったかどうか、という乾きぶりである。もしこれで例年のような混雑が発生していれば、雲ノ平山荘もいまごろ水不足を憂えていたことだろう。
 それと同時に、晴れ続きではあるが、雲ノ平は連日ニュースを騒がせている巷の酷暑とは無縁であって、いつになく涼しい日が多く、近年登山者を悩ましていたブヨの大量発生もない。7月には風雨で散らされた夏の花々に取って代わるように、普段ではあまり目立たないエゾシオガマやヨツバシオガマ、ウサギギクなどが驚くほど大量に咲き乱れ、不思議な光景をも見せてくれたものだ。
 要するに、連日すばらしい登山日和が続いている。
 そして、コロナ禍の存在感は、当初思い描いていた深刻な状況を思うと存外小さなものである。もっとも、訪れる登山者の数自体を絞っていて山荘内の人口密度が非常に低く、スタッフも登山者も基本的な感染症対策を心がけているためでもあるし、巷のように極端に考え方の違う人々の相互監視の圧力が働かないためでもあるだろう。山は、おそらくこの地に雲ノ平山荘が建設された1961年以降でもっとも静かな気配に満たされている。
 そんななか、本連載でも以前触れたように、雲ノ平山荘ではアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを実施している。このプログラムは、とかくレジャーやスポーツの側面に偏りがちな日本のアウトドアカルチャーのあり方に、より多様な価値観や視点をもたらすことはできないか、という思いからスタートしたものだ。国立公園の諸問題にせよ、言論による提起も重要である一方で、楽しさや感性の深度を深めることによって、創造的に自然環境に携わる人々を増やしていくことが、今後の可能性を切り開くためには不可欠だと僕は考えている。
 9月初旬現在、すでに7名のアーティストのうち2名が滞在を終え、3名が滞在中である。
 当初1、2名の選出のつもりで公募したのだが、コロナ禍によって各地で予定されていたイベントなどが中止になるなどの事情もあってか、非常に才能豊かなアーティストたちからの応募が相次ぎ、同時に山小屋も同じ理由で慢性的に閑散期になることが確実視されたため、予定よりも多い7名のアーティストを選出した。結果、その顔ぶれはじつに多彩である(詳細は2020参加アーティストでご覧いただきたい)。


 友禅染の伝統的な着物文化に山の自然のエッセンスを融合させ、新しいデザインを追求する四ツ井健さん。自然音や楽曲から得られたインスピレーションを色彩や造形に置き換えて抽象画を描く渋田薫さん。登山家としての自然体験を背景に、卓越した造形感覚で生命の形を刻む木彫家の加々見太地さん。ポップで浮遊感のあるタッチ&色彩で白昼夢のような山の絵を描く画家のShibiさん。木版画表現と、マラソンで培った身体を素材にしたインスタレーションを通して異世界の情景を出現させる若木くるみさん。ステンドクラスのような透明感のある色彩で、独特な装飾性のある風景画を描くsoarさん。各地への旅をとおして垣間見る人々の心の機微を、暖かなユーモアと静かな眼差しで描く漫画家のマイマイさん
 彼らの制作風景を見ていると、人の心というものは、かくも自由であれるのかと、改めて考えさせられる。自然のエッセンスを独自の感性で咀嚼し、人々が共有できる美や意匠、ユーモアや物語に翻訳し、普段僕たちが見すごしてしまう世界の姿を浮き彫りにすることで、現実に対する新しい視点をもたらしてくれる。
 また、彼ら一人ひとりの人生の物語を聞くにつけ、じつに一筋縄ではいかない起伏に富んだ道のりであることを思い知らされる。これは僕にとっても、どこか他人ごとでないことでもあるのだが、少しだけ他人と違う感性やバックグラウンドを持ち、少しだけ美や人間性への理想を持ち、その理想を妥協できない意地や愛があるだけで、気づかぬうちに、ひとりきりで思いもよらぬ高い山に登ることになったりするのである。
 アーティストたちとすごす時間は、僕にとってかけがえのない宝物になることだろう。このことは後日しっかりと記録にまとめたいと思う。
 人と自然の関係性、それは人類にとって永遠に尽きることのない問いかけだ。コロナ禍によってアウトドアやアートも不要不急の烙印を押されかねない日本の今日このごろであるが、コロナ禍や気候変動、それに誘発される世界情勢の変化などによって人々の不安が募り、グローバル経済や過剰な都市化に大きな疑問符が突きつけられているいまこそ、僕には足元の山や川に遊び「自然のハートに近づくこと」が必要に思えてならない。
 考えてもみれば、民主主義や人権の父とみなされているジャン・ジャック・ルソーや自然保護思想の黎明期を生きたヘンリー・D・ソローも、音楽や詩を愛する放浪者として半生をすごしたアーティストであり、表現活動を通じていち早く人間にとっての自然の重要性、個人の自立した想像力の大切さを世に問いかけた革命家でもあったのである。路傍に佇む小さな想像力によって、人類は歴史を築いてきたのだ。


PEAKS記事

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