山と僕たちを巡る話|これからの話 その3

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第30回
これからの話 その3

PEAKS 2021年3月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見える世界。
相も変わらずコロナコロナの世の中だが、この夏の対策方針を模索中。

 ひたひたと冷たい水が足元から溜まってきて、身動きもとれずに沈んでいく。寒くてうとうとし始めると、今度は得体の知れないものに背後から襲われそうな気がする……コロナ禍の長期化は、ある種の痛覚の麻痺と静かに迫る混乱の板挟みであり、いずれにせよ、見えない戦いである。今朝は、過去に三度訪れたミャンマーでクーデターが起きた。大きなパワーバランスが変化している。心ならぬ眠りに落ちているうちに、世界は混乱の渦中へと足を踏み出しかねない。自分を起こし続けなくては危ない……そう感じる今日このごろだ。
 それでも僕の居場所は山小屋だから、山の話を続けよう。僕が希望のメッセージを書けるのは、結局足元の地面だけだ。今回は、昨年のコロナ対応から得られた学びなどについて書こうと思う。以下は、昨年の運営方針の内、今後も継続しようと考えていることごとである。

①山小屋宿泊の予約制
 昨年雲ノ平山荘では、通常70人の定員を25人にまで絞り、宿泊料金を2割(1万2000円に)値上げした。宿泊者数は前年の4割程度にはなったが、滞在環境にゆとりができたことで、概して宿泊者の評価は良かった。この予約制の導入は、従来の布団一枚を2名で使うというような粗雑なサービスのあり方を脱却する絶好の機会だ。前回書いた通り、これまでは需要過多をどう捌くかという時代背景であり、量で稼ぐ薄利多売的な業態だったわけだが、今後それは成立しない時代である。これは日本の観光産業全体の課題として、日本社会の休暇の取り方を変えない限り観光業は衰退するといわれていることにも通じる。
 国民が休日にしか動かないと、観光地は年間の3分の2の期間は閑散期であって、3分の1は混雑しているという極端な状況になる。混んでいるときだけスタッフを増員して対応するも、パートタイムでモチベーションは低く、本質的なホスピタリティには到達できない。当然収益も不安定で一極集中のリスクを抱え込み、結局物価の変動にも折り合わず、バブル期までに整備した施設の維持や建て替えができない施設も多いという。そして、混雑している状況に基準を合わせると、供給側も需要側も文化的なクオリティには無頓着になり、文化が資源のはずの観光が、陳腐なマスプロダクト化していくのである。全体として、薄利多売の業態と利用者側の﹁観光には我慢がつきもの﹂という昭和の国民意識に依存したものでしかなく、なんら積極的に維持するべき状態ではない。ましてやこのあり方では、今後は量より質が問われる国内需要にも、インバウンド需要にも対応できない。
 山小屋も大筋ではこの流れのなかにあるわけで、予約制の導入はサービス、労働環境、経営の安定性、長期的には国民の休暇の取り方の変革など、さまざまな環境の向上に関連する。もちろん、これまでは消費主義的だった国立公園の環境保全にも、新たな展開をもたらすだろう。 今年度の雲ノ平山荘ではコロナ禍の状況を見極めたうえで、予約定員を40~50名に設定し、料金を1万3000円程度(※1)にしようと考えている。
 混雑を分散し、増減の少ない集客が実現すれば、サービスや労働環境が安定する。雇用条件が整えばスタッフが居着きやすく、慣れたスタッフが多数いる環境ができれば現場に余力ができる。その余力で各種文化活動や学術機関や行政、ボランティアとの協働など、山小屋の可能性を拡張するような、付加価値の高い取り組みを展開できる。登山者の関心が高まり、公益性の面も認知されれば国立公園への支援も受けやすくなる。という好循環を産みたい。

②キャンプ場の予約制
 数年来のキャンプ場の深刻なオーバーユースの問題を思えば必要不可欠な仕組みだった。公的な利用者数規制のない現状で、現場も対応に手をこまねいていたことがコロナ禍によって改善の糸口を見出した格好だ。
 昨年、雲ノ平山荘では例年の混雑日に限定して18日間(※2)60張の予約制を導入し、料金は全日1・5倍(1500円)に値上げした。結果的にキャンプ場利用者は2割減ったものの、売り上げは微増。例年繰り返されたキャンプ場のパンク現象が起こらなかったことで、環境保全のリスクは大幅に軽減したと思う。

③ヘリ輸送を減らすための燃料の節約、保存食の導入、レシピ研究
 文字通りの試みで、詳しくは本連載第24話をお読みいただきたい。宿泊者数を絞っても成立するビジネスモデルを構築することは、物資輸送の問題、環境負荷をも軽減する。

④その他の対策
 消毒液や使い捨て不織布枕カバーの利用、シュラフ持参の呼びかけ、グループごとに仕切れる可動式パーテーションなどは、コロナの有無にかかわらず有用な取り組みである。
 前述の方針と昨年来のアーティスト・イン・レジデンスの継続、およびボランティアによるトレイル整備ツアーなどの新しい試みも立ち上げることで、持続可能で創造性のある山小屋経営のあり方を開拓し、やがては山小屋を「人を育て、繋げることによって、自然と社会を巡る文化・科学の総合的な基地」として発展させていくことが理想だ。
 コロナ禍によって多くを失い、また現代社会の限界値を突きつけられているいまこそ、足元の自然が居場所となり、学びになり、喜びになり、出会いと調和をもたらす社会の礎として再認識されるきっかけを作り出していきたい。そんな夢を見始めている、今日このごろである。


※1)各種ユース割引、連泊割引などあり。

※2)7月は4日間、8月は10日間、9月は4日間。


PEAKS記事

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