山と僕たちを巡る話|登山道整備ボランティアプログラム本番 その1

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第37回
登山道整備ボランティアプログラム本番 その1

PEAKS 2021年10月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見える世界。
本来の自然と寄り添っているとは言い難い「登山道整備」改善への一歩として。

 山荘の玄関の鐘がカラン、カランと別れの合図を奏で、一人、また一人と参加メンバーたちが草紅葉に染まり始めた雲ノ平の草原を遠ざかって行く。昨日まで多忙を極めたボランティアプログラムの10日間が終わり、あたりは再び夏の終わりの柔らかな静けさに覆われる。
 それなりの覚悟と期待を抱いてのぞんだプロジェクトであったが、蓋を開けてみれば予想を超える濃厚な日々となった。

 建築士や経営コンサル、アウトドア企業、自然公園研究生、物理学研究者、医療従事者、ミュージシャンなど、様々なバックグラウンドを持つボランティアスタッフと、講師の岡崎さん、共同運営に当たってくれたハイカーズデポの勝俣さん、土屋さん、山荘スタッフ達、それぞれの胸の内にある「自然を必要とする思い」が交わり、互いに触発することでひとつの意志となって、これから僕たちが取るべき進路を明瞭に示してくれたように感じる。

 このプログラムは、現状機能不全に陥っている国立公園における自然保護のあり方について、まずは自然をリスペクトする自分たちが横のつながりを強化し、明確な意思や方法論を示すことによって社会の価値観から変えていこう、という取り組みである。
 歴史的に日本では、人権意識から発する生活環境の問題としての自然保護思想が社会に根付かなかったことで、国立公園は利用と保護のバランスにおいて「消費的な観光利用」が支配的な状況が続いてきた。公的な管理体制が存在しない中で、登山ブームなどで生じた利用側の経済活動(山小屋や山岳会など)の余力で自主管理するというあり方が定着してきたのだが、当の山小屋や山岳会の弱体化、コロナ禍、ゲリラ豪雨などによる登山道の荒廃によって、この構図は限界を迎えている。自然環境系の学問への投資も低迷していたことで、民間の側にも現状を知るエキスパートがほとんどいないという事態にもなっており、まさにこの問題は、ゼロから出発しなければいけないような状況なのだ。
 また、自然保護に関する経済や職業の選択肢が生まれなかったことで、一方的に「自然は金にならない」「僻地労働」「一部の人の趣味の問題」という、どこかネガティブなものに関わるようなイメージがついてしまった状況を解消するというのもプログラムの課題となる。自然を必要としない人間など誰もいないし、ジャンクな工業製品をばら撒くより、世界の美しさや生活環境を維持することの方が遥かに経済的である。

 講師の岡崎哲三さんについてはいずれ単独で取り上げたい思うが、日本ではじめて登山道整備を専門に手がける会社「北海道山岳整備」(※1)を設立し、この分野では間違いなく今後のリーダーというべき人物だ。いち登山者として地元の大雪山を歩いている時に「登山道が放置され、荒廃している」現状に対して危機感を募らせ、登山道整備に取り組む志を抱きはじめ、その後「近自然工法」の技術を習得、各地で「自然の生態系と景観美」に寄り添った登山道整備法の普及活動を展開している。雲ノ平山荘が発信してきた社会課題や植生復元研究に岡崎さんと共通した方向性を感じた環境省レンジャーの木村氏が、3年ほど前に引き合わせてくれて以来交流を続けてきたが、コロナ禍などの危機感の深まりを受けてより実体的な協力関係を進化させていこうということになったのだ。

 ともあれ、プログラムは朝から岡崎氏主導の近自然工法による祖父岳登山道の整備、夕方以降は岡崎さんと僕の国立公園・登山道をめぐる社会課題、技術論などの座学及び参加者間の意見交換、というタイムテーブルで、体感的、社会学的の両面から自然環境について学ぶという建てつけである。
 参加者にとっては、なんといっても岡崎さんによる近自然工法の講習は完全に未知の領域だったのではないかと思う。彼が整備するとまるで「山が自分の意思で景観や生態系を修復している」かのような自然な美しさと、構造的な必然性を感じさせるのだが、いざ自分でやってみると一筋縄ではいかない。
 今回は急斜面のザレ場にある祖父岳登山道を石組みで整備するというミッションで、階段というよりは「自然にできた石組みがたまたま歩きやすい」かのようなさりげない美しさの背後に、自然のメカニズムへの理解やデリケートな美意識を問われる高度な技術である。はじめは参加者の誰もが暗中模索状態でなかなか手が出ない状態だったが、丸一日真剣に格闘するうちに漠然とコツをつかみ始め、まがりなりに前進できるようになり、2、3日続ければどうにか奥深い技術の入口くらいには立てたか…という時点でタイムアップ(プログラムが前後半4日ずつだっため)となる。それでも参加者にとっては大きな学びと達成感を得られ、今後も挑戦し続けたいと思わせる魅力的な体験となったのではないかと思う。それは登山道整備というものが本来「土木工事」ではなく、美しい景色を生み出す創造性の高い営みに他ならないからだ。僕自身、今まで苦手意識の強かった岩を扱う仕事に対して、全く新しい感覚を身につける素晴らしい機会になった。
 かくして、外仕事でひと通りくたびれた後は、山荘に戻ってゆったりと休憩して懇親会…と思いきや、このプログラムでは白熱の座学&議論の時間が待っているのだった。(続く


※1)その他、岡崎さんは地元の大雪山を中心に、ボランティアを動員し登山道を整備するプロジェクト「山守隊」を主宰している。

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