北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見える世界。
現場で実践した新たな取り組み、その中身について引き続きご紹介。
さて、白熱の座学とは一体どのようなものであったか、である。
当初の予定では14時ごろには外の作業を切り上げて15時には山荘に戻り、30分ほど休憩したのちに1時間~1時間半ほどの時間内で当日の作業内容の振り返りと、合わせて国立公園・登山道をめぐる社会課題、技術論に関する座学を岡崎さんと僕の視点を交えてサクッと行うというイメージであったのだが、現実はそれで済むはずはなかった。
そもそもが、祖父岳現場の作業に参加者の大多数があまりにも熱中し、タイムキープをするべき事務局(物作りマニアの伊藤、勝俣)までもが14時時点で黙々と作業を続けている有様である。物作りというのは概してそのような魔的な要素が強いものであるわけだが、いずれにせよ山荘に戻る時点で30分~1時間程度押しているのはザラであった(徐々に修正はしたが…)。
これはいけないと、帰荘後の休憩も短縮して2階の一室に机やプロジェクターを運び込み、会議場レイアウトにして、ようやく座学タイムははじまる。そして実際は振り返りというよりは全力で「講義」に突入する。まずは岡崎さんの時間だ。
紙幅の問題で細かいことは語り尽くせないが、大雪山の登山道の現状(登山道の浸蝕・荒廃状況)を起点に、現行の国立公園の管理体制の実態(行政、民間団体、業者の関与の在り方とそれぞれの抱
える問題、制度や技術的、経済的な課題)、自然環境への理解がない工事がどういう問題を生むのか、景観や生態系を回復させながら堅牢な登山道を作る「近自然工法」とは何か…etcを視覚的にわかりやすく整理された資料を元に簡潔に語られる。
僕の視点で言えるのは、岡崎さんの講義は心から素晴らしい、ということである。彼の資料構成や言葉選びに一貫しているのは、岡崎さんの精神が視聴者に対して明確に「開かれている」ということである。自らが経験し、感じ、思い描いているイメージや理想を可能な限り聞き手の立場に立って「伝えること」ができるのか、彼自身がどれだけ繰り返し省察し、追求して来たのかが、ひしひしと伝わってくる。そして、決して情緒論に陥らず、膨大な動画や定点観察による記録を、客観的な的確さ、直感的なわかりやすさを両立させて、合理的にまとめ上げている。
その思いに呼応して、聞き手はいよいよ真剣に耳を傾け、自身の省察へと導かれるのである。岡崎さん本人は「聞いてもらえないことも沢山ありますよ」というが、無力感をも推進力に変え、閉ざすのではなく開いてゆく、その力強さにこそ、聴き手は心を打たれるのである。
さて、岡崎さんが既に1時間半ほど話して質疑応答などを行なった後、僕の番である。僕の話は本連載の読者の皆さんからすると「いつもの感じ」なのではあるが、今回は講義ということで、不慣れながらも資料を用意して行なった。雲ノ平山荘と東京農業大学の共同で12年間行って来た「雲ノ平植生復元活動」の資料をアレンジしたものである。
かなり岡崎さんと共通の部分もあり、雲ノ平周辺の登山道の現状と公園管理体制の実態、法制度と思想の課題(欠乏)、公共事業の自然破壊、雲ノ平で実践してきた「近自然工法」、世界の自然保護の歴史から見える日本の現在地etc…どちらかというと歴史や思想などの俯瞰的な視点に比重を置きながら展開し、では我々はどうするべきなのか、という流れでボランティアプログラムの存在意義と、今後の展望に結びつけていった。
やはり印象的だったのは、相互的な議論の深まりである。僕(北アルプス)の視点を岡崎さん(大雪山)に投げかけることで、異なる立場や地域でどのような環境の違いがあり、あるいは同様の課題感があるのかが浮かび上がる。さらにそこに勝俣さんがアメリカの国立公園の歴史的な成り立ちや自己の経験を投影し、徐々に歴史的全体像と自分たちの立ち位置、原因と結果、思想と技術などの相関関係が明瞭に理解されていく。一人の人間が単一の視点や経験に基づいて主張を展開しても、いずれは表現が頭打ちになるものだが、同じことを扱っても複数の視点で議論を展開すると、あたかもイメージ空間を彫刻していくかのように、だんだんと像が鮮明になり、より深い印象を描き出すようになるものだ。良い議論とはそういうものである。
今回はそこに、参加者のアウトドア企業や建築士、ハイカー、物理学研究者、医療従事者、環境省アクティブレンジャーなどを交えて、それぞれの社会経験の中で、国立公園の課題がどう映り、どのように自分が関わ得ると感じるかなど、多様な意思表示が加わることで、これまである意味で「静的なイメージ」でしかなかった国立公園の社会課題がようやく「人々の思い」というハートを得て、未来へと歩み出す「動的な意思」になれるような感触があった。
ここでは技術論は扱いきれないので、別の機会に会議のディティールは共有したいと思うが、講師の僕たちからしても参加者の熱意や関心の深さは予想以上のものであり、結局3時間以上にも及ぶ長大な話し合いは一度も緊張の糸を切らすことなく、太陽が沈んで辺りが仄暗くなっても誰も電気をつけようともせずに走り切ったのであった(※1)。
そして夕食でさらに話し続け、翌朝は祖父岳で道を作り、午後は再び語り合う。そんな日々は、参加者同士を真の仲間にして行った。
自分たちが愛するものは、自分たちで守る。このプログラムがそのような意思を育み、社会に大きな創造性をもたらす力になれば良いと心の底から思うし、僕たちとしては、必ずそうするつもりである。
※1)来年はボランティア参加者にとっても、苦労をかけた山荘スタッフにとっても、よりゆとりのある計画にすることを約束した次第です。。なお、本プログラムは今年の参加者をはじめ各方面との連携を強化しつつ今後も継続予定