大東 忍|Sinobu Daito

雲ノ平山荘

大東 忍|Sinobu Daito

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【大東忍さんの仕事】

誰もいない廃村の夜、夜中の郊外の住宅地の路地、人々の去った祭の後の広場、暗がりの中にこの世ならぬ孤独な街灯が灯り、その光の中で踊っている人影がある。時折そこには祭の残照のような幻想の花吹雪が、踊る人影もろとも埋め尽くしてしまうかのように舞いしきる。悲しみと喜び、誕生と消滅、孤独と懐かしさの狭間に、人の心は佇んでいる。
忍さんの描くイメージに、僕は抗いようもなく、ある種の郷愁を覚える。
僕自身が、かつてあてどもなく異国の路端を彷徨っていたころ、誰もいない夜中の街の情景に、不思議な安堵感を感じていた。夜がふけて、人々の生命感、感情、行き交う車や機械の作動音、あらゆる音楽の気配が消えると、「街」という純粋な造形や、生活の痕跡だけが、忽然と立ち顕れてくる。生身の人間の不安定な感情や、「歴史」という曖昧な概念ではなく、過去の人々の営みや記憶がはっきりとした形として残っていて、雄弁に「人間の物語」を語り出す。
彼女の絵は、人間の在所を探し求める思索である。
彼女は、木炭画は言葉に近い表現だという。アニメーションのような動と充の表現ではなく、静と疎の表現であり、それは見る者に思考することを要請する。言葉は、読まなければ単なる影に過ぎず、受動で味わうことはできない。色の充溢は見る者の思考を充すが、影は思索に駆り立てる。
そう思えば、影は旅の思想である。そこにわずかに差し込まれる色彩は、世界の実存に向き合う自己の感情のざわめきとして、画面の表層をたゆとうている。影と色彩の交錯が、「大東忍」であり「人間」の座標となる。
だが雲ノ平の滞在中、忍さんは景色に向き合いながら、少し戸惑ったかも知れない。
無垢の自然には人間の痕跡はなく、消滅する主体もなく、折り重なる生命の誕生の連鎖が夜闇の中にまではみ出していて、僕たちは、あけっぴろげで、あるがままの世界を目撃するだけなのだから。影と光、過去と現在、自と他、人工と自然という境界線が、もとより曖昧なのである。
かくして、雲ノ平で生まれた彼女の作品では、相対的な力の緊張は緩み、豊かな夜と、生命の柔らかなため息が描かれることとなった。
これはこれで、美しい。

(文:伊藤二朗 撮影:森田友希、赤錆健二 編集:赤錆健二)

Artwork

Sinobu Daito

1993年 愛知県生まれ
2019年 愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士前期課程修了
特定の環境下で生活するゆえに身体に無意識に根付いている生活感や信仰の感覚が、目前の風景には人の痕跡として夥しく蔓延っている。風景というのは野暮ったい住宅街であったり、盛大な祭典の跡地であったり、山岳信仰の根付いた山深く人気のない限界集落だったりする。どれにも共通するのは、風景は人が差し込んだ違和感を抱えながらもこの場所で生き続けるということだ。
そんな風景の中に身を置き、歩みのペースを崩し視線の高さを変え、風景に対して演劇的な虚構を差し込んだりすることでそこに潜む痕跡が顕になり、風景は「物語る風景」となる。
風景を美術を通して探り、記録している。


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