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父のこと


ななかまど20号(2018年発行) 掲載記事 - 伊藤二朗=文・写真


夏の夜明け。
夜闇の中でも失われない、空と大地に満ちた熱気。舞台の幕が開く前の、秘めやかな観衆のざわめきにも似た、あたたかな明け方の薄闇に、まばゆい朝日がのぼり、さっと陽炎を描く。幕は開き、高らかに真夏の生命の交響曲が鳴り響く。
消えども、消えども、こみ上げる歌。
朝日の中、今しも新緑は瑞々しい柔らかさから、照りつける夏の日差しに立ち向かうように、力強い輪郭を帯びはじめている。朝露にしとどに濡れた草原が銀色に輝き、谷間から吹くそよ風の中に、森の静寂が、雪解けで水量の増した沢のざわめきが、聞こえている。
きっと稜線ではもう、花が美しい頃だろう。
いつもどおりだ。いつもどおりのざわめきと、青い空。
何事もなかったかのように、青い空だ。

あれからもう2年。
2016年6月17日、よく晴れた日の明け方、安曇野の病院のまだほの暗い病室で、父は息を引きとった。彼の莫大な記憶はその瞬間、暗い闇の彼方へと去っていった。
一人の人としての伊藤正一が去り、それに続いて彼の思い出の中の人々、山賊や、彼の思想信条、愛憎を彩った友達、そしてその人々を育んだ時代、父に多くを与え、奪い、壮大なキャンバスにもなった昭和と言う時代、彼だけが見た冒険の果ての景色…多くものたちが、一斉に去っていったことを、僕は思わずにはいられない。
人の死は、なんと雄弁に世界の真実を語りかけてくることだろう。
見えなくても確かに存在していた。父が宝物のように愛し、語り草にしていた記憶たちは、音もなく去った。例え映像で保存されようと、いかに詳細な記録を紐解こうと、それらのものたちを再び息づかせることは出来ない。記憶というのは現実の出来事である以上に、その人が感じたことだ。音や匂い、交錯する思惑、周囲のざわめき、のちに時代と呼ばれる空気感のようなものが渦巻いて一つの像を結んでいて、言葉で説明できることは、わずかな部分に過ぎない。
父の歩んだ人生が波乱や起伏に富み、生への執着も強い人だったからこそ、父の最期の沈黙は大きかった。
本当にあなたも、無に帰るのだな、と。

今回は家族として、父のことを書きたいと思う。
おそらく多くの人は、伊藤正一という人物を、老年期の印象から黒部源流の開拓の偉業を成し遂げた生き字引のように捉えているかもしれない。あるいは元航空工学の研究者で、文化や芸術を愛し、冷静に物事を捉えることの出来る穏やかな性格であったり、労山の結成や行政との裁判などの際立った活動から、社会に対する正義感の強い人物像として認識していることだろう。一面をとれば実にその通りなのだ。
しかし、その偉人も家族から見ればただの人間である。
多くの才能人がそうであるように、寧ろ父も明確な才能を持つが故に、その才能に支配され、才能の枠外のことになると人一倍不器用に生きてきた人でもあった。
戦火の中、20歳で航空機エンジンの開発者として生き、23歳にして絶海の孤島のような黒部源流の開拓に乗り出し、山賊たちと寝食を共にし、中年期には国外の旅に魅了され、60歳にして子育てをし、70代で国と裁判をしていたわけだから、大分変わった人生であることは容易に察せられるだろう。
当然その子供達への接し方も世間一般的な要領を得ているはずはない。思ってもみれば子供の頃の僕と父は、等身大に寄り添う親子というよりは、どこか祖父と孫の関係にも似た、地に足がついていないものだったとも思う。父にとっても、子供の存在によって大きく価値観を変えられるような年齢を通りこしていたということもあっただろう。学校生活や交友関係を気にしたり、勉強の世話、悩みの共有など、そういった世帯じみたやりとりは皆無に等しかった。家にいても多くの時間を父は部屋にこもり、執筆や写真作品の制作、各種研究などをしていたものだ。
たわいもない思い出だが、僕が小学校5年生の夏、訳あって父と二人きりで山に入るべく松本に滞在していたことがある。しかしその年は非常に山の天気が悪く、僕たちは2週間近く足止めを余儀なくされた。その間僕と父が何をしていたかといえば、散歩である。松本の街をぶらついて、僕が要求するままに日中映画を1、2本観て、それが終わるとまた街をぶらつきながら帰路に着く。(もしかしたら僕がそう思っているだけで、何か大事な用事を済ませていたのかもしれないが…)多くの日をそんな風にして過ごしていた。そして僕はその散歩の道すがら、街角のスーパーや八百屋で大好きな桃を見かける毎に父にねだるのだ。すると「また桃か、二朗は桃が好きだな…」と言ってひょいと買ってくれる。子供の頃、僕はとにかく桃に目がなかったのだ。毎日いくつの桃を食べただろう。2週間もそんな生活を続けた挙句、僕は風船のように太ってしまった。これが個人的に名高い“桃デブ事件”である。その後僕の変わり果てた姿を見た家族は大いに驚愕したが、父は全くそんなことは気にも留めていないといった風情であった。
それと似た脈絡で頭をかすめる思い出といえば、僕が16歳の頃、学校生活というものに意味を感じられなくなり、高校をやめると言い出した時などは、「おおそうか。僕も一度のぞきにいったが、大した学校じゃないな、と思っていたぞ」と寧ろ嬉しそうな反応をしてみせる始末。その会話はそれっきりで終わりである。なんのためらいもなく僕は学校をやめた。
ざっくりと言えば、そんな子育てだった。

だが今思い返せば、父なりに精一杯の努力もしていたのだろう。
母と結婚した後、60歳にして自動車の運転免許を取り、それまでの海外旅行好きを封印して国内の家族旅行に切り替え、色々なところにつれていかれたものだ。これとても自分が楽しめる範囲での努力と言えばそうであるが…。たまに思い出したように行われる気まぐれな剣道やヴァイオリンのレッスンなども、どちらも習得には至らなかったが、良い思い出である。

父はとにかく人と話をすることが大好きだった。
それはどこか戦前の文化人の屈託のない人間愛や、剛直な人生観に通じるところもあったのだろう。
山小屋でも常に誰かと話し込んでいた覚えがあるが、特に祝い事や来客などがあって大勢で食事をするようなことがあると、その本領は発揮された。まだ存命だった山賊の鬼さや古くからのスタッフらとともに、遅くまで山の開拓時代や怪奇事件の話などに興じていた光景をよく覚えている。父の話には聴く者をいつしか物語の世界に引き込んでしまう魅力があったと思う。山小屋のあの雰囲気だけはこれから作ろうと思ってもおいそれと真似できるものではない。わずか三十年足らず前の話だが、遥か昔の出来事のようだ。
父の話好きは子供に対しても変わることなく、彼が少年時代に読んだ“のらくろ二等兵”や“冒険ダン吉”といった古い漫画の話にはじまり、中学で自分が数学の天才と呼ばれていたこと、戦時中、航空工学の研究者として陸軍の参謀本部に乗り込んだこと、戦後の民主主義運動や、黒部で山賊達と初めて遭遇したときのこと、憧れのヨーロッパに渡り素晴らしい仲間達に出会った旅路、社会と戦った自負心、写真表現のこと、愛する音楽のこと等々…こちらの興味のあるなしに関わりなく、冒険活劇のように語りきかせてくれたものだ。
父にとって人生は物語だったのだ。
しかし、僕自身大人になるに従って、様々な状況の中で理解することになったが、その物語にも様々な側面がある。人道主義を標榜し、理想を描こうとするほどに、父は自分の影の部分について積極的に語ろうとはしなかった。その理想の根元にこそ、長い影は伸びていた。
少年時代の母親と弟の相次ぐ死、戦争で多くの友を亡くしたこと、結婚や事業の挫折、無防備な性格ゆえに他人に翻弄された記憶など…影に目をやれば言葉少なに語った苦い出来事が垣間見える。人間に対する、ある種の混沌とした愛憎が父の中に渦巻いていた。そして人間である以上、父自身も全くの被害者であるはずはない。夢や理想を共有できる仲間たちに対しては無償の愛情をそそぐ一方で、家庭的な生活や、日常の中にこそ潜む人間の心の機微のようなものには疎く、一度自分のことに熱中すると、周囲に対する気配りは二の次になり、いつのまにか身近な人間関係に危機的な状況が生じていたりする。その都度自分の方にある原因には気づかないまま、父は直面する事態の不条理を嘆き、憤るのだった。そういう意味では面白いほどに遠視的な人生観の持ち主でもあった。
いわば他人との距離感を測るのが少しばかり苦手な人だった。お母さんを早くに亡くしたこともどこかで影響していたのだろうか、とふと思ったりする。だが父は最後まで、器用にならなかったからこそ世間擦れせず、多くの人に対して誠実に、年齢などにとらわれず接していたのだろう。そういう人だから見ることのできた景色を、純粋な夢を、僕は知っている。要は弱点もある、人間らしい人間だった。

僕が山の仕事に携わるようになって以降は、多くの家庭の例に漏れず、父と激しく衝突することも稀ではなかった。だが、親子の関係が妙なのは、やがてその衝突している当の相手が、半分は自分自身であることに気付かざるを得ないということかもしれない。家庭から少しばかり縁遠かった人の家族になり、ある意味でお互いに学び会えたと思えば、光栄なことだった。

晩年に至っても父には歳をとるという概念はあまり芽生えず、生涯価値観の中心にあった物理学の観点から、新たな世界の発見に日々余念がなかったし、若かりし頃に中断してしまった飛行機のエンジンの研究すら再開しようとしていたものである。
何を言いたいかといっても、様々だが…そんな父に対して、今僕は愛おしさを感じるということだ。そして、父の成し遂げたことと同様に、父が出来なかったことを忘れないでいたい。その上で、彼の一世一代の大冒険に心から、感謝と敬意を評したいと思う。人に少しぐらい迷惑をかけてでも、全力で、最大限可能性を楽しんで、夢見ることに疲れたりせず、短い短い人生を歩きたい。そう思わせてくれる魅力が、あの人の存在にはあった。

最後まで私事づくしの文章になってしまい恐縮だが、父が亡くなる1ヶ月前に、僕は麻由香と結婚した。父は不自由になった身体で「おめでとう」と言ってくれた。それが最後のはっきりした会話の思い出だ。
亡くなる前の日、病室で、束の間はっきりと目覚めた父に、彼の撮ったヨーロッパアルプスの写真集「白き峰々」の1ページを開いて見せた。彼は昔から事あるごとにこの本を持ち出してきて、友人たちや、知り合ったばかりの人にも、自分の旅路の物語を語り聞かせたものだった。父の視線はじっと本の中の、白黒写真に映った白銀の山々と青い空に注がれていた。何か言いたそうだったが、聞き取れなかった。しかし僕にはなぜか、その時ほどはっきりと、父がかつて見た景色を目の当たりにするような思いがしたことはない。
あの人の心にあった、吸い込まれるような青空、まぶしい日差し、山々、その景色の中に立つまだ若い父自身が、ここより先へ、もっと先へ行こうとしている。
「人はどこに行くのか!人の心は死んだら、どこに行くのか!」そう思わずにはいられなかった。父が死んだ瞬間、彼の思い出の莫大な青空のかけらを、僕は受け取ったのだ。

父の生きた時代は戦争による暴力が吹き荒れた時代であり、同時に目覚ましい技術革新を旗印に未知を切り拓いていく時代だった。
僕たちが生きる現代は、技術や情報、世界人口、思想信条が飽和状態に達し、問題は寧ろ多くの正義の中にこそ内在し、明確な答え探しも、犯人探しもできない、自分の影との戦いのような時代だ。
そして、いつの時代が良いわけでもなく、人は、苦しん生きている。喜んで生きている。
毎日がゼロからの挑戦で、終わるということは何もない。

蛇足だが、父の死の直後に思いのままに書いた詩をもって、今回の記事を締めくくることにしたい。なお、長きにわたって「ななかまど」を読んでいただき、ありがとうございました。

伊藤正一という道 告別の詩

彼は生まれながらの開拓者だった
常に可能性と夢にとりつかれ
自らがその化身となって道を拓いていった
一刻の躊躇もなく
時にはまるで猛獣が獲物を追いかける如く貪欲に
しかし川が流れるように自然なこととして
心のままに生きた
彼は本能のように物理学を探求した
感覚を超えた普遍的な真実と
世界の存在を知り尽くしたかったのだ
また彼は切実に仲間を求めていた
人間の可能性を愛していたから
彼は仲間を愛したが
同時に全くの傍観者として仲間たちの人生を眺め
その情景を楽しむかのようでもあった
彼は科学と夢想の織りなす
大きな物語に手を伸ばしていた
いわば仲間たちと物語は混然一体のものであった
そして時にその夢想は彼を
余人の現実をはるかに逸脱した行動へと駆り立て
周囲の者たちに動揺を与え
心ならぬ軋轢を生むことさえあった
だがそれは彼の道そのものであり
不思議な愛の形ともいうべきものだったのだ
(そう、彼は到底器用さとは無縁の性分だった)
事実、見方を変えると
彼は純粋に独りぼっちでもあった
世界は自分でしかなく
自分の思念に対してあまりにも集中していた結果である
誠にそれは常人では想像だにできないほどの集中力だった
周りがどうであるかなど大きな問題ではなかったのだ
その底知れない意識は彼の生きた時代がもたらしたところもあったであろう爆弾が雨のように降り注ぎ
強大な抑圧の中で多くの友を失った時
洪水のように人々の価値観が移ろい
破壊し勃興し
またその不安な空気の中をはつらつと行き交う
強者たちと出会った日々
強烈な光と影のせめぎあいは
彼をして人間に絶望させ
遠ざけ
また人間性を激しく希求させ
混沌とした推進力を与えたのかもしれない
いずれにせよ彼に
立ち止まったり振り返ったりすることを
要求する何物も存在せず
ある種の感性を放棄してでも
挑むべき壮大なフロンティアが
眼前に広がっているだけだった
黒部源流での物語は誠に彼の夢の結晶である
一方で彼は、写真表現を通して
世界の美しさを夢中で捉えようとした
人間や理性を超越したものに対する
果てしない憧憬がここにも灯されていた
彼のまなざしは物理的な幾何学模様の無限の展開の中に
調和される独特な美であり
物理学とやむことのないロマンチシズムの
豊かな邂逅であった
そう、いかなる時も彼が世界に向き合う姿は
誠実で謙虚なものだった

彼はつまるところ
生まれてから死ぬまで
このように旅をし続けていたのだ
今、彼が歩んだ道が一筋残っている
その道は多くの人々に居場所を与え
美しい世界に目を開かせ
数多の出会いを生み出した
たしかなことは
その事実こそが彼の世界に対する愛と信頼の証だということ
彼は振り返ることなく
見果てぬ夢を追いかけて
いつも通りの歩調で
私たちの視界から去っていった
父さん 今はあなたの大好きな景色の中で
ゆったりとくつろいでいるのだろうか?
あるいはあなたが完成させた
最高のターボプロップエンジンを搭載した
飛行機で風とたわむれたり
先立った友人たちに囲まれて
久しくご無沙汰だったワインを片手に
ヴォルガの舟歌を口ずさんでいるのかな
今日も雲ノ平の平原に
高山のすがすがしい風が吹き抜けている

2018年5月発行
巻頭:水越 武「黒部源流の山々」、高桑 信一「山小屋と私」 、伊藤 正一 偲ぶ会ご報告