山と僕たちを巡る話|日常というもの

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第3回
日常というもの

PEAKS 2018年12月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
夏山シーズン終了。山荘をあとに、下界での“日常”に思う。

 めまぐるしい小屋閉め作業を経て、一面に霜の降りた静謐な朝の光のなか雲ノ平山荘をあとにし、いくつかの山を越えて下山。そこから移動手段は車になり、気付けばどこかの国道を走っている。もう20年近く繰り返し見た情景。かくして4カ月間に及ぶ山の生活は幕を閉じる。山にいるうちは、長期間の閉ざされた生活のフラストレーションから下りたらアレもコレもしたい、などと思い巡らせて人里への夢を膨らませるのだが、いざ現実世界に接してみれば、その幻想もやがて、漠然とした気分に覆われ始める。
 アスファルトの匂い、人気のない田舎町の夜、前を走る大型トラックの赤いテールランプが脳裏に焼きつく。無機質な感覚が身に泌みる。こんなことを書くと、いかにも繊細な自然派の男の心情告白のように思われるかもしれないが、僕自身はそういう嗜好の持ち主ではない。街は好きだし、混沌とした人間の活動にも尽きせぬ興味を感じている。ただ、とある瞬間、雲ノ平と街の生活との、まったく異なるふたつの世界の狭間で「日常というもの」についてしみじみと考えさせられることがある。
 山の生活はとかく物事をシンプルに捉え直すには良い機会だ。衣食住に関する生活環境の仕組みや、それを取り巻く自然との付き合い方。スタッフの共同生活では、逃げ場のないコミュニケーション空間のなかで、いやが応にもたがいの悪い部分を曝け出しつつも、創造性のある関係を築くしかない。多くのことに端的な目的や制約があり、自分の言動が直接的になにに影響を与え現実をどう変えているのかが明瞭に見える世界。
 山荘が雲ノ平という土地において唯一の建築物で、ランドマークであるからには景観に調和した建物にしたいとか、訪れる大多数の人々が喜びの源にしている自然の景色をなるべく美しく保ち、豊かに演出しようというのは、どれも現実に対するアプローチとして当たり前のことだ、と僕の目には映っている。そして日本ではその自然環境を扱う姿勢に大きな問題があるということもシンプルに理解しているつもりだ。行政に国立公園を維持管理する仕組みがなく、荒廃地が増える一方で山小屋の管理能力にも限界がある以上、新しい方法論の必要性を訴えるのも当然の流れだろう。
 そして新しい方法論を作るためには、多くの人と交流するなかで「雲ノ平山荘が特別な活動をしている」というイメージをなくして行きたい。要するに雲ノ平で起こっていることを人々の日常の目線に下ろしたい。日本中の土地が本来美しいはずだし、それが普通なのだ、ということを思い出すきっかけになれば良いと思う。

 だが、ひさしぶりに人里に下りて周辺の景色などに浸ってみると、毎度のこととはいえ、現代社会の肌触りというものを改めて痛感させられる。雲ノ平での感覚をもって、この世界と渡り合うことの困難さを思う。情報や技術革新の洪水のなかで、本当は自分がなにに関与し、なにに必要とされ、なにを目的にし得るのかという視点を持つのが極めて難しい時代。山から発せられる小さな声に耳を傾ける人がどれだけいるだろう。国立公園がどうだと言う以前に、日本社会の日常的な美意識や景観に対する愛情の所在を思うと辛い気持ちになる。
 文化としてのグランドデザインを失い、具体的な評価基準がないために、結果的に産業構造の成り行き任せで深刻に無機質な世界観になってしまっている。自然エネルギーの名のもとで畑や森を潰して乱立するメガソーラー、大手企業の占有地のような国道沿線、人口減少でインフラのコンパクト化が急務である時代に進むリニアモーターカーの巨大開発、そういうものに依存するほどにアイデンティティに矛盾をきたし過疎化を深める地方社会。最早経済の合理性もなく、原発で国土を失ったときですら、あてどもない前向き思考で、いつの間にか必要不可欠な批判や議論までうやむやにしてしまった。
 歴史を紐解けば、ヨーロッパに始まる自然保護運動のほとんどは産業による開発圧から生活や文化を守ろうという人道的な側面から派生し、人間の前に自然を守ろうとするケースは稀だ。その流れの大きな帰結点として各地に国立公園が生まれた。文字通り日常生活の意識と景観保護、自然保護は地続きの考えなのだ。形あるものとして景色の質を守ることは社会の持続性としてもっとも重要な要素のひとつだと僕は思っている。
 はたして畳も縁側も知らない子どもに老人の昔話が通じるか、という話であって、世代を超えた共有感覚を支え、世界の連続性を語らずに教えてくれるのが景色というものだ。多くの国では景観に対する評価基準というのは社会の基本的な条件として存在する。現状の日本のセンスで自然の美しさを守ることはできないし、自然に学ばなくては自滅的な社会のあり方を変えるのも難しいのではないだろうか?
 だから読者のみなさんには山の世界を「非日常の楽園」と思ってほしくない。
 僕は雲ノ平で起こっていることを日常の目線に下ろしたいと思っている。

PEAKS記事

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