山と僕たちを巡る話|一番美しい日

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第12回
一番美しい日

PEAKS 2019年9月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro Ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
そのとき、その瞬間、その場にいるからこそ巡り合える、特別な一日。

【虹】
 梅雨時のある日、気温が高いせいか雪解けは早かったものの、太陽が一向に顔を出さず、雲ノ平はいまだに新緑が芽吹かない。昨年の枯れ草が一面を覆い、ところどころにショウジョウバカマの桃色の花が、わずかに色を添えるばかりだ。
 灰色の天井のような雲が空を覆い、細かな雨が降りしきるなか、あたりの山々は押し黙って聳えている。雨滴の波紋が池塘の水面に柔らかなノイズを描き出し、それを黒いマントを羽織った人影のような、小さなオオシラビソの木が覗き込んでいる。視界に動く者はなにもなく、ただ雨の音が、静かに心を満たす。
 だがそのとき、周囲に淡い光が帯びるのを感じる。空気が乱反射し、世界が内側から発光するかのような光。
 外に出ると、降り続く雨のなか、巨大な虹がかかっていた。水晶岳から祖父岳の裾野まで、空を横断する光のスペクトルの橋。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……太陽と水の気まぐれな戯れが雲ノ平を染め、僕の眼球の奥底に深い陰影と、色彩を投げかける。
 雨滴は空の光彩を吸収しながら枯れ草の大地に降り注ぎ、細い光の筋になって流れている。
 残照が次第に深い赤色を帯びたころ、虹は白い影のようになり消えた。
 カモシカや熊や鳥たちも、どこかでこの虹を見上げていただろうか?
 次晴れた朝、きっと鮮烈な緑が平原を満たすだろう

【白い海】
 その日の午後は霧だった。
 雲ノ平山荘の東側の野原にはチングルマやハクサンイチゲが咲き、その傍らに、今年はとりわけ数が多いように感じられるナナカマドの花が賑わいを添える。あたりにたゆたう霧が景色をしめやかに包み込み、蒼い草むらのなかに点々と頭を出す火山岩のシルエットが、白い空間に不可思議なリズムを生み出している。
 ぼくはこの見慣れた雲ノ平の霧の光景が好きだ。沈黙する岩に、しなだれる草花、見えない景色の向こう側に、物語を感じる。
 夕暮れも迫ったころ、小鳥がざわめき始め、にわかに霧が金色に染まった。見上げれば空の高みから劇場の帳が開くように茜色の空と、かすみがかった黒部五郎岳の頂が現れ、西日が鋭い角度で目を射る。山々は赤い影絵のように輪郭を浮かび上がらせ、靄は散り散りに大地に吸い込まれていく。
 やがて太陽が太郎平の稜線に最後の光芒を放ったとき、ふいに振り返ると、見たことのない景色がそこにあった。
 一面の白い平原の上に、水晶岳が聳えている。
 雲ノ平そのものが雲海になっているのだった。
 山荘のテラスは白い海を漂う船の甲板のように浮遊している。白い海はゆっくりと南から北へと流れ、その場に居ながらにして、どこか見知らぬ世界へと誘われるようだ。
 まるで夢と現実の境界線を流れる海峡のように。
 白い海は夜の到来とともに僕の脳裏へと流れ去り、あとにはいつも通りの平原があった。

【緑色のさざ波】
 長い梅雨の雨が上がった朝、草原は眩しく、蒼かった。まだ新緑のしなやかさを残しながらも、夏の太陽の強さに呼応して、硬い輪郭線を描きはじめたヒロハノコメススキの草叢が風にたなびき、輝いている。
 「今日、雲ノ平が一番鮮やかに蒼く染まる日だ」
 窓から辺りを見回し、とっさにそう思う。
 空気はこの上もなく澄んでいて、朝露もない、そして日差しを待ちわびたあらゆる草たちが、一斉に光合成をはじめ、緑色の血潮をたぎらせる。形のない生命が足元から滲み出し、突如として辺りを満たす。固体とも、液体ともつかぬ、例えようもない緑、緑……。
 僕はカメラを取り出し、ギリシャ庭園に歩み出す。折しもコバイケイソウがそこかしこで、固く締まった白い蕾の房をほぐし、そっと薄目で紺碧の空を仰ぎ見る。
 空は雲ひとつなく、心を取り止める手がかりとてない。
 日差しと風、深い緑色のさざ波が僕の身体を突き抜け、或る静寂のときを描き出す。

 生命の去来があるだけだと感じるとき。
 こんな瞬間が、充足感を与えてくれる。疑いようもなく一番美しい日の到来が。

PEAKS記事

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