山と僕たちを巡る話|地域制自然公園(2)

雲ノ平山荘

山と僕たちを巡る話
第14回
地域制自然公園(2)

PEAKS 2019年11月号掲載
文・写真:伊藤二朗 
Text & Photo by Jiro ito

北アルプスの最奥、黒部・雲ノ平での暮らしから垣間見えること。
今回は日本における国立公園の成り立ちを振り返る。

みなさんは世界の国立公園のあり方が大きく分けて2種類あることを知っているだろうか?
 ひとつは「営造物公園」といって土地の所有も含めて国立公園を一元的に国の行政機関が管理するというあり方。これは国土が広大なうえに、公園の指定候補地の大部分が原生自然であって土地の権利者が複雑に混在していなかったアメリカなどで実現された。国の権限は強大で、業務は自然環境の維持管理からインフラの整備、交通アクセスの管理、宿泊施設の運営(※1)、警察権までをもトップダウン的に統括する。厳格な管理がしやすい制度である。
 もう一方が、「地域制公園」というものだ。日本をはじめ、ヨーロッパ諸国で導入された。これは歴史的に多様な土地の権利者がいることから、国による土地所有は諦め、公園にふさわしいと評価されたエリアに法制度の網をかける方法だ。この場合、国は必ずしも絶対的な権限を持つわけではなく、どちらかというとコーディネイターとして、公園に関連した地主、地方自治体、自然保護団体、利用者団体、企業、学術機関など、立場の異なる組織の関係性を調整しながら、地域の事情や特色に即した管理計画を作っていく。
 うまくいけば協働体制(相互監視・研鑽型の関係性)であり、縦割り社会の分断を前提にすると、噛み合わない利害同士の足の引っ張り合いになる。日本はあいにく後者だろう。
 地域制公園でもっとも重要なことは社会全体で自然保護の意識、理念が共有されていることだ。そもそも国立公園という発想自体が、ヨーロッパで産業革命によって脅かされた生活環境や景観などを守ろうとした民衆運動が大きな潮流となり「自然環境、文化を守ることは社会の義務だ」という思想が社会に行き渡ることで実現されてきたものだ。
 その経緯があってこそ国や地方、住民やNPOなどが立場の違いを超えて、共通の感覚を持ちながら議論ができるのだが、日本の場合は観光開発の口実として形だけ輸入したような感が否めず、制度が生きたものになっていない。多くの題材がそうなりがちな国柄ではあるが、議論し、理念を共有するといった民主主義の根幹的なプロセスをすっぽかしてしまったのだ。
 僕の理解では、このふたつの自然公園のあり方を比較した場合、原生自然の保護には一貫した科学的な管理が有効なため営造物公園が適していて、ヨーロッパなどの生活文化と密接な景観保護が基調となる場合は住民との共同作業が前提になるため地域制公園が適していると思う。北アルプスの環境は、どちらかというと原生自然保護に近いため、地域制公園とはいっても科学的なアプローチが欠かせないはずだが、現状ではその要素は皆無に近い。
 日本の国立公園の性質を理解するためには、その成り立ちを知ることが重要になってくる。 じつは、日本の国立公園の黎明期にも厳格な自然保護を訴え、営造物公園に近い管理体制の確立を目指した人々がいた(※2)。だが、折しも日清・日露戦争に端を発した軍需産業や電源開発の拡大のなかで、社会の機運はむしろ反対方向へと進みつつあった。つまり国立公園成立の是非で行きつ戻りつしていた大正末期には相次いで上高地や黒部、尾瀬などにダム建設計画が立ち上がり、うかうかしていると国立公園の主要な候補地の多くが水没してしまうというような事態になった。

同時期の世界恐慌なども追い打ちをかけ、国立公園に予算を割ける状況ではないという雰囲気が強まるなか、公園の立案者側としても、世論の十分な支持を得て満足な財源、制度、土地の取得、人材を確保してから国立公園を立ち上げるという計画を諦め、次善策として「国立公園は財政的な負担をほとんどかけずに作れる」「土地の所有はせず、維持管理も当面は民間事業者や地方団体が手がければ良い」という論法に切り替えて代議士などを説得し、水没だけは避けるべく緊急避難的に成立させたのが、「安上がりな」日本の地域制国立公園だった。
 自然遺産の消失を免れるという意味では大きな役割を果たしたといえるわけだが、日本の国立公園は本質的にこの前提をそのまま引きずった形でいまに至ってしまった。制度の拡充はおいおい行なえば良いと考えられていたようだが、そうはならなかったのだ(※3)。
 金と人材を費やさずに公園を管理(自然を保護)するためにどうするかといえば「規制漬け」しかない禁止事項を羅列することにより、開発圧から一定の距離を持たせることができる。しかしあくまでも「隔離」であって能動的な関与はできず、現場の状況把握もままならないため具体的な管理計画は立てられない。
 そして最大の矛盾は、「隔離」的な方針の一方で入域規制などの利用調整は一切存在せず、官民挙げての利用促進キャンペーンは際限なく行なわれ続けてきたということだろう。ほぼ例外なく各国の国立公園では「利用と保護」の二律背反する要素のバランス取りが根幹的なテーマになるのだが、日本の国立公園では、保護は机上の論理でしかない。
 かくして公園の実質的な維持管理を民間事業者(北アルプスでは主に山小屋)に依存した状況になった。しかし、以前にも書いた通り、地域・個人差はあるものの、昨今は山小屋の経営基盤が揺らぎ始め、登山道などの荒廃も進み、人口減少社会のなかで人材確保も難しくなっている状況がさらに悪化すれば、急速に不安定な状況に陥る可能性が高い。
 地域社会が有機的に連動してはじめて「地域制公園」は機能することを思えば、僕たちは今後なにを目指すべきなのだろう。山小屋が担える新しい役割なども含め、引き続き考えてみたい。(つづく)

(※1)アメリカの国立公園にもコンセッションシステムといって、民間事業者に営業権を与えて宿泊施設や食堂などの運営を委託する仕組みがある。独占的な営業権を与える代わりに国立公園局が強力にコントロールを行なう。

(※2)国立公園制定運動のなかで造園学者・林学者の田村剛や上原敬二等が自然保護のあり方について活発に議論を展開した。

(※3)参考文献『国立公園成立史の研究』著:村串仁三郎( 法政大学出版局)

PEAKS記事

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