雲ノ平山荘を取り巻く仕事人たち|Professionals

雲ノ平山荘

雲ノ平山荘を取り巻く仕事人たち|Professionals
伊藤 寛治
Kanji Ito
大工棟梁
伊藤棟梁は雲ノ平山荘の骨格というべき木組み構造の計画、加工、組み立てをになった大工だ。次世代の登山文化を発信する基地となる山小屋を建設するべく、豊かな創造性をもたらしてくれる職人を探す過程の中で出会った。

棟梁の建築スタイルは、各地の古民家や社寺仏閣から吸収した日本の在来工法に深く根付きながらも、伝統に執着することなく、開放的で洗練された、現代人の暮らしに寄り添う生活空間を演出する。

ガウディの建築が好きなことが高じてスペインを旅したり、バイクやスキーが趣味だったりすることからもうかがい知れるように、その人柄はバイタリティに溢れている。雲ノ平山荘の建築の過程でも、僕の数多の突拍子も無い提案やら無理難題を悪友に付き合うように気さくに受け入れてくれた。一緒に東北へ木材買い付けの旅をした事から雪原の中の山荘建築現場に至るまで、思い出は沢山あるが、中でも高瀬ダムから巨大なコメツガとヒメコマツを引き上げに行ったことが格別だ。以下がそのエピソードである。

『2008年の秋に初めて主要な建築関係者で雲ノ平を視察した日、僕たちは高瀬ダムの湖畔のヘリポートでなかなか来ないヘリを待っていた。その時に棟梁が、とある流木の上に乗って「この木使えるんじゃないか…」とつぶやいたのがきっかけだった。沢の河口に引っ掛かっていた大きなヒメコマツだ。営業を終えて下山した後、早速僕はダムの管理事務所に話をつけて棟梁とユニック車でヘリポートに向かった。そこで半信半疑ながらもわくわくしてその木を見ていると、ダムの湖面にもう一本巨大な流木が浮かんでいる。更に大きな木だぞ…。そんな経緯で拾い上げたのが樹齢400年、長さ8m程もあるコメツガと、樹齢200年、長さ5m程のヒメコマツである。どちらも申し分なく状態が良く、しかも1階の中心を通す大梁として最適なサイズだった事は、この建築が何か大きな運命を持っている事を確信させた。それにしても、ユニックでダムから巨木を引き上げている時の、棟梁の満面の笑みは忘れられない。〈ななかまど14号から抜粋〉』

伊藤棟梁の建築は、優れた工芸品であるとともに、人の想像力を駆り立てる物語性を秘めている。それは、彼自身が素晴らしい人生の旅路を歩んできたからなのだろうと僕は思う。

Kanji Ito
経歴
1952 秋田市象潟町(現にかほ市)に生まれる。
1966 長野県山内町で大工修行を始める。
1980 長野県富士見町に伊藤工務店を開業。
「国産の無垢材を使い、強く美しい家を作ること」を信念として仕事に取り組んでいる。