雲ノ平山荘を取り巻く仕事人たち|Professionals

雲ノ平山荘

雲ノ平山荘を取り巻く仕事人たち|Professionals
大和 景子
Keiko
Yamato
薬師沢小屋スタッフ、
文筆家、イラストレーター
大和さんは雲ノ平山荘から富山側に3時間ほど歩いたところにある薬師沢小屋の住人だ。
付き合いはかれこれ15年近くなる。最初に会った時の印象こそ少し控えめな性格の絵描きの女性、のような印象だったが、月日とともに彼女の内に秘めた、めくるめく創造性や思慮深さに驚かされることになった。絵描き、イラストレーター、文筆家として様々な媒体で頭角を現し、造形美術の職人、熱烈な釣りの愛好家でもある彼女の探究心はとどまることを知らない。
2019年春には長年勤めた薬師沢小屋での暮らしから垣間見える自然界の森羅万象や人間の生活の不思議、身近な小動物たちと繰り広げる愛憎劇などをウィットに富んだ文章で綴ったエッセー集「黒部源流山小屋暮らし」を上梓した。
ふとした日常の一場面に奥深い死生観を見出したりするところに、彼女の精神の鋭さを感じさせられる。人と山との向き合い方に新しい視点をもたらす表現者である。
寄稿
おっといけない、もう14時をまわってしまった。雲ノ平山荘の二朗さんのところに来ると、ついつい時間を忘れ長話になってしまう。急いで沢まで下らないと、夕食の準備に間に合わない。「まあ、また今度」といつもののんびりした口調で言う二朗さんに、慌ててまたねと手を振り、木道を小走りに抜け、通い慣れた薬師沢小屋への急斜面を駆け下りる。

ここ、黒部源流の薬師沢小屋に初めて働くようになってから、15年が過ぎた。山が好きで、渓流釣りが好きで、仕事と生活を明確に分けることのできない私にとって、最良の職場選択だったと思う。ここでの暮らしは、私に多くのことを教えてくれた。

美大に入りたいと、真面目に絵を学び出したのが高校二年生のとき。始めにデッサンというものを学んだとき、私は驚愕した。目の前にあるものが描けないのだ、おかしい。知っているはずのものがまるで違うものに見える。なぜ描けないのだろう、私は一つ一つのことを自分なりに考えた。描くことによってそれを考え始めた。

不思議なもので、この作業を続けていると、ある瞬間に何事かが腑に落ちることがある。何かを自分なりの形で理解できたときだ。ああそうか、理解するとはこういうことなのかもしれない。と同時に、私は今まで学んできたと思っていた膨大な教科書の単語や文言に、それは恐ろしいものを感じた。私は今までいったい何を学んできた?

知ることとは暗記ではなく、同時に体で考えるものだという確信が生まれた。それまであまり外に出ることのなかった私は、絵を学ぶことによって外に飛び出すようになった。行動することは、描くことは、すなわち考えることだ。想像も及ばない価値に出会いたくて、アフリカや南米やインド、そんなところを歩いた。絵も描かずに山ばかり登った。そして今、ここにいる。

黒部源流は常に私に様々な問いを投げかける。私はここに在るという恩恵を享受しながら悩み続ける。それが私と薬師沢小屋との関わり合いだ。問いが解決することはこれからもないであろうが、私はそれでもその何かに少しでも近づきたいと切に願う。存在に勝つためではない、教えてもらうためにデッサンを続けたあの頃のように。
Keiko Yamato
1974年、愛知県大府市生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒。イラストレーター。
高校生のときに初めて北アルプスに登り、山に魅了される。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属し、日本の山々を縦走する。同時に渓流釣りにもはまり、沢歩きを始める。卒業後は鈴蘭山の会に所属し、沢登りと山スキーを中心とした山行へ。
イラストレーターと美術造形の仕事をしながら29歳で山小屋アルバイトを始め、薬師沢小屋暮らしが始まる。この頃からアフリカや南米、ネパールなど、絵を描きながら海外一人旅を始める。
39歳で東京YCCに所属しクライミングを始め、現在に至る。薬師沢小屋暮らしはトータル12シーズン。
黒部源流の自然と薬師沢小屋が世界で一番好き。

【イラストの仕事】
山と溪谷社、Foxfire、PHP研究所、JTBパブリッシング、地球丸、等
著書「黒部源流山小屋暮らし」山と溪谷社
【美術造形の仕事】
国立科学博物館、名古屋市科学館、福井県立恐竜博物館、熊本市立博物館、東京都水の科学館、東京ディズニーランド、藤子・F・不二雄ミュージアム、陸前高田一本松、他多数